内閣での存在感が際立ち、今や「影の総理」とか「菅防長官」と呼ばれる仙谷由人・官房長官の原点を探ったコーナーでは、伊藤惇夫(政治アナリスト)の見立てが面白かった。
伊藤は仙谷と同じ徳島県出身の故後藤田正晴元官房長官の話を紹介する。後藤田は「徳島には大した政治家がいないけど、強いて挙げれば仙谷ぐらいかな」と漏らしたそうだ。同郷であること、官房長官として総理に物申して影響力を行使できるところから、仙谷は「赤い後藤田」と言われているらしい。
「赤い」と称されるのは、東大時代、左翼運動に傾倒、その後、弁護士を経て、1990年に社会党から衆院選に立候補、初当選した履歴のためだろう。
しかし、政治家になってから仙谷はこう言っていたという。
「全共闘のとき申し上げた『麗しい連帯を求めて孤立を恐れず』を政治の場でやると、すってんてんの孤立をして少数派になってしまう。政治をやる以上は多数派形成を考える」
胃がん手術きっかけに後見人自任
仙谷といえば「反小沢」の代表格だが、「数=パワー」ととらえる点で仙谷と小沢は共通していると伊藤は話す。
「赤い小沢一郎かな」(伊藤)
9年ほど前、仙谷は胃がんの手術を受けて胃を全摘している。伊藤によれば、胃がんになる前はトップを意識していたかもしれないが、回復後は若手の前原誠司(外相)や枝野幸男(幹事長代理)などの後見役を任ずるようになった。
「そのことが仙谷さんの立場を強いものにしている」(伊藤)
コメンテーターの鳥越俊太郎(ジャーナリスト)は「菅総理の影が薄い」と指摘したが、その分、官房長官の影が濃くなっている。
文
アレマ| 似顔絵 池田マコト