マージャンの「ツモ」から生まれた谷啓の「ガチョーン」

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   「ガチョ~ン」の谷啓が自宅階段で転倒し脳挫傷でなくなった。78歳だった。

   音楽とお笑いを融合させたコミックバンド「クレージーキャッツ」の一員として高度成長時代にお茶の間に笑いをもたらした人がまた一人去っていった。で、改めて今のお笑い界を見ると……

「やたら目立つ」とトロンボーン

   自ら「人見知りの一方、目立ちたがり屋」という谷が東京で生まれたのは昭和7年。終戦直後は13歳の中学生。当時、アメリカの文化がどっと入ってきて皆が新鮮に感じたものだが、谷が魅せられたのはジャズ。

   しかも「楽器やるなら伸ばしたり縮めたり、やたら目立つトロンボーンだ」というわけで、大学進学後バンドを結成しトロンボーンを担当した。

   31年にハナ肇、植木等らの「クレージーキャッツ」に出会い参加し、演奏の合間に入るコントが一躍人気に。昭和36年の高度成長真っ只中、植木等のコミカルな「スーダラ節」が大ヒット、一世を風靡している。

   あの「ガチョ~ン」は、毎晩やっていた麻雀でツモった際に、口から出任せで言っていたのが、何かの弾みで出て、「面白い」と言われ、使うようになったという。

   しかし、高度成長時代の終焉を迎えた93年9月には、ハナ肇が肝細胞がんでなくなり、07年4月には植木等が呼吸不全で去っていった。そして谷も……

   スタジオでは、コラムニストの勝谷誠彦が「ボクは子どものころに知っているだけだが、今の子ども達が今の笑いにギャグをどれだけ覚えていて語れるかというと非常にさびしいものがあるよね…」と。

   お笑い芸人は星の数ほどいるが、今の閉塞感を打ち破るような誰からも共感されるギャグとなると只今ゼロ。やたらとクイズ番組で知識のなさを競う?お笑い芸人ばかりが目立つ。

文   モンブラン| 似顔絵 池田マコト
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