取材秘話・フラッシュバック(13)
決勝が終わると、表彰式がある。優勝、準優勝の学校に優勝旗やメダルが与えられる。そして優勝校は深紅の大優勝旗を先頭に場内を一周する。ホームベース付近から外野フェンス添いに歩く。至福のときである。
かつて、この最後のセレモニーを拒否した優勝校があったことを信じることができるだろうか。それは1919年(大正8年)の第5回大会で優勝を飾った兵庫県代表の神戸一中である。
優勝行進を辞退した理由は「われわれは見せ物ではない」――というものだった。野球の試合を行ったのは母校の名誉のためである、というのが言い分で、当時の男子の気概がうかがえる。
実はこの大会が行われたグラウンドは鳴尾球場で、甲子園球場ではなかった。甲子園球場は5年後にお目見えしている。
神戸一中は激戦地の予選を勝ち抜き、全国大会は初の代表だった。エースで主軸打者でもあった山口弘が大活躍し、長野師範との決勝では完投し3安打を放った。選手数は補欠2名を加えた11人。