焼け跡に立つ男は、体に薦(こも)を巻いただけで裸足だ。昭和20年の夏、日本に進駐した米軍は、これをカラーで撮っていた。スチルだけでなくムービーもカラーだ。
小木逸平アナが「テレビ初公開という貴重なものです」という。
銀座の4丁目、焼けた三越は窓も外壁もゆがんでいるが、向かいの服部時計店はシャッターが閉まったままだが、しっかりしている。後に米軍のPXになるのだが、別の画像ではすでに「PX」とあった。
町を歩く米兵やMPの姿。ヤミ市の風景。神奈川県との境の六郷橋には、英語で「ここから東京」と大きな看板。道路脇には、英語と日本語の標識がごちゃまぜ。銀座から大きなビルが無傷で残っているのが見える。新橋の第一ホテルか?
緑地化、道路整備、団地など素敵だったのに
ここまでがテーマのイントロで、本題は東京都が策定した幻の戦災復興計画。このPR映画があった。「二十年後の東京 東京都都市計画課」(1947)とある。
そのナレーションがすごい。一面焼け野原の空撮画面をバックに、こう言い切ってしまうのだ。
「新しい時代にふさわしい新しい形の都を作り出す絶好のチャンス」
「この千載一遇の好機会をむなしく見送ってしまうようだったら、私たち日本人はこんどこそ本当に救われがたい劣等民族だと、世界中から物笑いの種になるでしょう」
映画はモノクロなのに、「スパモニ」は焼けこげた東京駅など、米軍のカラー映像を混ぜるものだからややこしかったが、復興計画の内容は、緑地化、道路整備のイラストやモダンな団地の模型などまで出してくる。
人口過密化の防止策では、「都心部では狭い土地に多い人口を収容しなくてはならないことから、勢いアパート形式に解決を求めることになるでしょう。専門家による共同炊事や共同洗濯が行われ、主婦を台所から解放するのに役立ちます」と、木陰でくつろぐ女性のイラストがあった。
この計画はしかし、連合国軍総司令部(GHQ)が「これは戦勝国の復興計画だ」とつぶした。それで幻の計画に終わったのだそうだ。
ジャーナリストの鳥越俊太郎「ナレーションで千載一遇のチャンスといってましたね。ホントにチャンスだったんです」
このカラー映像と復興計画は、江戸東京博物館(両国)で9月26日まで展示されているそうだ。
それはいいのだが、番組途中のナレーションで、「昭和25年、終戦の…」とあった。記事を書いた記者、チェックしたデスク、読んだアナウンサーの誰も気づかず。終戦の年はもはや「歴史の彼方」なのか。