社民党の看板娘?だった辻元清美衆院議員がついに離党に踏み切った。5月の連立政権離脱にも不満だったことは知られていたが、離党の理由説明はいまひとつ歯切れが悪かった。
選挙、ポスト、政治家としての将来
国交省副大臣を辞めることになった時の涙は大きく報じられた。このあたりが岐路だったようだ。記者会見で、社民党という小党の限界を語る口調には、いつもの「清美節」のかけらもなかった。
「進むべき道がこれでいいのか、迷った。社民党として何が正しいのか。いくら批判しても、日本を変えることはできない。政策を実行できない」と、これに尽きるようだ。政権の側にいたいということなのだろう。
福島党首には、もうひとつの理由を明かしたという。選挙区の事情、即ち、社民党では小選挙区は苦しいということ。1996年に初当選してたちまち国会で「辻元節」を発揮したが、選挙は常に薄氷を踏むものだった。社民党というより大阪・辻元党だ。
02年の秘書給与流用問題で議員辞職。05年に復帰したときは、「小さな政党は必要」と訴えていた。しかし、昨年の総選挙選挙では民主などの支援を受けていた。さらに、連立与党での行政体験が彼女を変えた……。
当分は無所属でいくというのだが、スポーツ紙の中には「ポスト福島より民主ポスト」と意地悪なだじゃれも出た。
司会のみのもんた「これはうまいねぇ」
片山善博(前鳥取県知事)「彼女はガチガチの教条主義者みたいなイメージだったが、国交省に入って官僚と仕事をして柔軟になった。たしかに、小選挙区で社民はむずかしい」
内野雅一(「週刊エコノミスト」編集長)「政治家として悪い選択ではないかもしれないが、会見を聞いただけでは何を言ってるのかわからないと思う。もっと素直に語った方がいい」
片山「離婚して、すぐ別の人と結婚というわけにはいかないでしょう」
みの「これはわかりやすい」(笑い)