<にくめ、ハレルヤ>大阪市の映像文化事業であるCO2(シネアスト・オーガニゼーション・エキシビジョン大阪)の企画制作部門が制作した作品。阪神淡路大震災が重要なテーマとなっており、復興された街を疾走する若者の姿を通して、風化されつつある震災の記憶を呼び覚ます意欲作だ。
復興にそれぞれの違和感
10年前、阪神淡路大震災で両親を亡くし、祖母とともに叔父の家に引き取られていた青年・裕人。平穏な日々を送っていたある日、認知症を患った祖母の言葉が裕人の震災の記憶を呼び覚ました。
あの日、瓦礫の下には、『サキ』という妹がいたことを祖母は示唆したのだ。そんなとき、町中で母親に追い回されている女の子、沙樹と出会う。彼女は妹の『サキ』ではないのか。裕人は沙樹の手を取り、逃避行を始めた。
主演の裕人役を務めるのは、主に自主映画で活躍する俳優、芋坂淳。少女を連れ出して逃避行を始める内向的な青年という難しい設定に、無機質な演技が見事にマッチしている。
また、沙樹役を、近年『子猫の涙』や『奈緒子』などの好演が光る藤本七海が務める。撮影は5年前であったため、映画初出演ということになるが、その可憐さは、裕人の逃避行という突拍子のない行動を現実に引きつけるだけの力がある。
本作には、板倉善之監督の中にある復興を遂げた被災地に対する違和感が映画全体に漂っている。もちろん復興したことを悪いと主張しているわけではない。ただ、街の中から地震の記憶が消されても、人々の中には残っている。裕人の行動からそのことが切々と伝わってくる。
安田(渡辺大介)という震災当時に復興活動をしていた男が、行くあてのない裕人と沙樹に対して手を差し伸べるという展開はとても生々しかった。安田は人助けを生きがいとしていて、困っている人を見ると元気になるタイプだ。復興した神戸などの被災地をどこか煮え切らない思いで見つめている。
ただ、安田の抱える違和感は裕人のそれとは異なっている。映画を通して、復興した神戸に対するさまざまな違和感が浮き彫りになっていくのが興味深い。
安田という存在が、裕人と沙樹をもっと追い詰めてくれればよかったという不満はあるが、過去の一大事としてではなく、現在という視点から震災を見つめ直した意義は大きい。それは同時に板倉監督の視点でもあり、震災時、安全な場所にいた私たちの視点にも十分なりうる。それくらい力のある作品だ。
野崎芳史
おススメ度☆☆☆☆