「ブレアは米国のプードルだった!」英国で進むイラク参戦の検証

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   イラク戦争参戦という判断の是非を問う取り組みが英国で始まっている。「独立調査委員会」が設けられ、9・11同時多発テロ以前からイラク撤退までを対象に、戦争を決断した政策プロセスに問題はなかったか、同盟関係にある米国の言いなりになっていたのではないかなど、徹底した検証が進められている。調査委員会は当時のブレア首相をはじめ、関係閣僚、軍人など政策決定の中枢にいた80人に証言を求め、機密文書にもアクセスできる権限が与えられて、その聞き取り調査の模様は逐一テレビやインターネットで白日のもとにさらされた。

   そこから見えてきたのは、当時のブレア政権の同盟国・米国にモノが言えない米国に追随するプードル的体質で、日本とよく似ている。

   番組は、日本にも十分参考になるこの画期的な委員会の狙いを取材した。

調査委員会をネットとテレビで中継

   独立調査委員会は昨年6月、かつてブレア内閣の一員だったブラウン前首相の指示で設置された。委員には元事務次官、2人の歴史家、元外交官、上院議員の5人。委員会の狙いは訴追ではなく、「何が起こっていたのかをできる限り正確に明らかにし、そこから教訓を学び取る」(チルコット委員長)ことだという。

   今年1月に証言を求められたブレアは、イラクが大量破壊兵器を所有していると確信を持った根拠を尋ねられ、次のように答えた。

「機密情報からサダム・フセインが生物化学兵器の製造を続けているのは明白だと私は信じていた」

   焦点の一つとなった米国との関係について、「あなたの補佐官は『米への支持に条件はなかった』と証言しているが、『条件はあった』という証言もある。どちらが正しいのか」と問われて次のように答えている。

「条件は付けませんでした。アメリカとは同盟関係にあり、われわれからこうしろああしろという関係にはありませんでした」

   英国は自国が関与した戦争の検証が200年も前から行われており、1808年のナポレオン戦争の検証記録が国立陸軍博物館に残っている。ただ、当時は軍事作戦や戦術の誤りを分析するのが目的だったという。

   政策判断の是非にまで検証が及ぶようになったのは、領有権を巡ってアルゼンチンと戦ったフォークランド紛争から。当時のサッチャー首相が証言しているが、公開はされなかった。かし今回、証言の模様が逐一インターネットで公開され、テレビで放送されるようになったのは、激しい国民の怒りがあったからだ。

   イラク戦争の大義としていた大量破壊兵器は見つからず、国連の承認もなく先制攻撃を行ったことで、正当性に強い疑問が噴出した。しかも、犠牲になった兵士は178人、軍事費は撤退までの6年間で1兆円近くに達している。

   委員会の「証人喚問」で見えてきたのは、ブレアが内閣を重視せずに意思決定したのではないかという疑問だ。次のような証言がある。

   「イラクに関する文書は提出されず、政策決定する機関にふさわしいまともな議論をした記憶がない」(ショート元国際開発相)、「反対意見を出しにくい雰囲気があり、徹底した議論は行われなかった」(ターンブル元官房長官)

コトは日本の方がはるかに深刻

   オックスフォード大のロバート教授が中継出演し、国谷キャスターの「公開する意義は何だと思いますか」という質問に、次のようにコメントした。

「イギリス国民は、日本国民もそうでしょうけど、アメリカのプードルというのは嫌なんですね。アメリカに対して自分たちの言い分をぶつけるべきだったのではないか、そこを問うことだった。 また、ブレア政権には歴史的視点がないということですね。今回直面した問題が、過去に直面した問題と酷似しているという視点ですね」

   番組の中で国際関係史が専門の防衛大・等松寿夫教授は「歴史的視点が欠けていたという意味では、日本のほうがはるかに深刻。65年前に敗れた戦争の検証すらない状態。われわれのほうが思考停止に陥っていると感じます」と厳しい指摘をした。

   日中・太平洋戦争について、勃発から敗戦までのプロセスを政府がきちっと検証を行ってこなかったたために、いまだに中途半端な戦争への反省で、忘れ去られようとしている。

*NHKクローズアップ現代(2010年6月9日放送「イラク戦争を問う~英国・検証の波紋~」 )
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