「パパが大変」
ついに、小沢一郎幹事長が一番怖れている、元筆頭秘書の高橋嘉信氏が口を開いた。これまでも少しはしゃべっていたが、今週から、新潮で連載を始めたのだ。
第1回は「小沢一郎が倒れた朝」。1991年6月29日朝、小沢の妻・和子から「パパが大変」という電話があった。駆けつけてみると、
「寝室では、小沢が布団の上で胡座をかき、両手の甲を膝の上に乗せていました。顔は少し上を向き、弱々しく空を見つめ、苦悶していた。顔面は蒼白で、息も絶え絶えの様子。私は小沢の顔を見て、『あ、これはまずい』と思い、即座に、『心臓発作だ』と直感しました」
当時は、ペルシャ湾に自衛隊を派遣させようと奔走するも失敗し、都知事選挙に磯村尚徳氏を無理矢理擁立するが、これも失敗して、精神的に追い詰められている時期だった。
小沢事務所は29日夕方、「軽い狭心症」と発表するが、本当の病状は「心筋梗塞」で、もう少し処置が遅かったら危なかったと担当の医師は告げた。
43日間の入院生活の後、退院するが、小沢の首にはロケットが下げられ、そのなかにはニトログリセリンが入っているという。常に権力の中心にいることを欲し、その一方では、心筋梗塞の再発を恐れる小沢は、朝日によれば、「衆参ダブル選挙で自民党を殲滅」する作戦を立てているそうだ。
小沢の野望を潰えさせるのは、突然の病かもしれない。そのためにも、何が何でもこの夏の参議院選挙は勝たなければならない。小沢の顔を見ていると、その執念は日増しに強くなってきているようだ。