<テレビウォッチ>テンションを上げるために、録画したマイケル・ジャクソンの活動30周年コンサートのライブを繰り返し見続ける。マイケルの気分じゃない時は、小学生の頃大好きだったチャゲアスのCDを引っ張り出す。またある時は中学生の頃にはまりにはまったオリジナル・ラブのライブ動画を見まくり、そういえば初めて行ったライブは彼らだったなぁと思いだし、数年前に家の近所で田島貴男さんをお見かけして心臓バックバクになった感覚がよみがえってきては追体験している。どれもこれも深夜のリピート再生で時計を見てゾッとしている。
「チャレンジ性を審査」も
最近、こんなことばかりをしているのだが、それにしても昔好きだったものを見聞きすると本当に楽しい。楽しかった当時を追憶しているだけか? いや、当時だって今と同じようにそんなに楽しいことばかりではなかったはずだ。過去に浸る暇などない! 次々に新しいものを作りださないといけないのに……と焦る。それにしても、ちかごろどうも昔を振り返りすぎる傾向が強い。
そういえば、テレビ業界でもそんな話があったっけ。
某局の編成から番組提案募集の際に言われたのは、「過去に受けた番組の焼き直し」がテーマだった。他局でも構わないので、過去の大ヒット企画を今風にアレンジしてできないかとまで大胆に言われた。
「う~ん、どの時代までが一周したと思われているのだろうか」と、誰もが首をかしげながら考えた。その一方、別局の新番組企画募集は、これまでになかったテーマ、斬新な切り口でチャレンジ性を審査するとのことだった。
人は、過去の焼き直しと聞いて「それでいいんかいな」とグチをこぼし、チャレンジ性を問うと聞いて「数字が取れないのにね」と、またグチをこぼす。何が正解で何が失敗なのか、それは誰もわからない。グチをこぼしながらも、どうやれば、観たい! と思われる番組を作ることができるのかを考える。そして、煮詰まる。イカンイカンと頭を冷やしてまた考える。
昔好きだった音楽の魔力
頭がゴリゴリになってきた時に、ある人が君達に必要なのは、「愛」だと言った。愛情持たずして人に観てもらえるような番組は作れないと。
そうなんだけどね、でも……とここでも言い訳じみる。大人の社会は「愛」だけでは進まないことが多いのだよと。そしていろいろな人の「愛」を聞いているうちに、自分の「愛」をどこまで出せるのかも難しく、時に見失ってしまう。
しかし、番組放送終了後にもう少し愛情を持って作っていればよかったと、反省することも多い。素直に話を受け入れられなかった自分を悔いる。
そんな時、無条件に愛情を注いだ懐かしい音楽にどっぷりと浸ってしまう。少しだけ今の状況からエスケープしたい。でも、それではダメだと分かっているのに、と堂々巡りの繰り返し。深夜に鳴り響くリピート再生と同じように、私の頭の中でループする。
モジョっ子