ミュージカル分野の1本目は、『トップハット』(マーク・サンドリッチ監督 1935年)。
「ザ・ダンサー」という尊称で呼ばれ、事実、そのステップを見れば、彼こそは、まさにその名にふさわしいと納得してしまうフレッド・アステア。そのフレッドが、場外ではブツブツ文句をいいながら、スクリーンでは、史上、2度と見られないような絶妙なコンビぶりを披露したのが、ジンジャー・ロジャース。
これに欠かせないのが、アービン・バーリンの曲だ。事実、『トップハット』は、バーリンの曲が先に作られ、脚本は、それに合わせて書かれたという。
話は、この時代のミュージカルと同様、他愛ないといえば他愛ない。アステアが逗留したホテルで、たまたま見かけたロジャースに一目惚れ、2人はいったんいい仲になるものの、ロジャースはアステアに妻がいると誤解して、別の男のもとに走るが、ベニスにまで追いかけたアステアと最後は目出度く結ばれるというラブ・コメディだ。
だが、そんなお定まりのストーリーなど、アステアが、ステッキで床や壁をコツコツ叩く、そのリズムに乗って、軽やかにして優雅なステップを踏み出した瞬間から、すっ飛んでしまう。わけても、タイトルに重なる「TopHat WhiteTie and Tails」(山高帽に燕尾服)で踏むタップは、ほとんど驚異的といってもいいくらいで、北野武の『座頭市』のタップ・ダンスぐらいしか観たことのない人は、ぶっとんでしまうだろう。
そして、ジンジャー・ロジャースを、ダンスへと誘うときの、なんともいえない呼吸。アステアが、タップの音を響かせて軽やかなリズムを刻む。と、それに乗ってロジャースがステップを踏み出す。2人の靴音が絶妙なハーモニーを奏で、やがて2人が一体となっていく華麗にして優雅なダンスには、ただただ陶然となる。
ウディ・アレンが、『カイロの紫のバラ』(1985年)のラストシーンで、この映画でジンジャー・ロジャースが歌う「頬寄せて」のシーンを再現したのも、むべなるかなというべきだろう。
映画評論家 上野昂志