「判断が難しい」
埼玉・蕨市で2年前、食事を満足に与えられず衰弱死した4歳の男児のケースは、児童相談所が判断の先送りを繰り返した結果だ。生まれたとき両親は路上生活者で、男児は2歳まで乳児院にいたから、この子の記録は、児童相談所で分厚い書類になっている。これが虐待のサインを見逃す結果になった。
まず、保育園に通わせなかったため、保育園長が家庭訪問したが、子どもに会わせてもらえなかった。大きなサインだったが、相談所は深刻でないと判断した。
死亡の3か月前に保健師が男児を見た。身長が足らず、身なりや様子がひどいため、相談所に報告したが動かず。2か月後の会合で、保育園長や保育士が「引き離し保護」を主張したが、相談所は「身長を測ってみる」ことに。
その訪問では、父親が「風邪で寝ているから」というのを受け入れ、立ち入らなかった。死んだのはその12日後。所長は「男児との長い経緯から」といっていたが、この間男児を直接見たのは保健師だけだ。
川﨑は、「育児放棄は判断が難しい」「具体的な援助計画を立てて」「気がついたときは連絡を」などといっていたが、なんとも話が悠長だ。
聞いているうちに、専門家がこれじゃ虐待は防げまい、という気がしてきた。かつて社会はきびしく、ときに押しつけがましく、かつ優しかった。いまは、ただ優しそうにしているだけでは? と。 そこまで踏み込まないと、この問題の答えは見えてこないだろう。ヤンヤン
*NHKクローズアップ現代(2010年3月15日放送)