「フィルム・ノワール」その2、『黒い罠』(オーソン・ウェルズ監督 1958年)。
夢魔のような、という形容は、この映画のためにあるといっていいだろう。とにかく冒頭の、国境の街に、新婚旅行でやってきたメキシコ政府の犯罪捜査官(チャールトン・ヘストン)とその妻(ジャネット・リー)の眼前で、車が爆発炎上するまでを、10数分に及ぶ長回しで同時並行的に見せられただけで呆然としてしまう。
そして、殺人事件の捜査に乗り出した夫と別れ、ひとりモーテルに泊まったジャネット・リーが、メキシコ人の不良たちに脅かされる場面の恐怖感。ヒッチコックは、これを見て、あの『サイコ』(1960年)を作ったのではないかという気さえするのだが……。
だが、それにもまして画面を圧倒するのは、アメリカの悪徳警部に扮するオーソン・ウェルズの存在感である。彼は、この映画のために太り、メークで顔を変えてまでして、その異様な巨漢を誇示しようとしたようだが、チャールトン・ヘストンの正義漢ぶりと対照的に、平然と証拠を捏造し、メキシコ人のボスと手を結んだかと思うと、都合が悪くなると、あっさり彼を殺してしまう。
その、麻薬で眠らされたジャネット・リーが横たわるベッドの傍らで、彼がボスを絞殺するホテルの一室を彩る光と闇は、まさに悪い夢のなかの出来事のように怖ろしい。
そんなウェルズの圧倒的な存在感に拮抗するのは、出場こそ少ないが、マルレーネ・デートリッヒだ。くわえ煙草で男を見つめる、その顔だけで映画が息づくのである。
そして、ラスト。橋の上を歩きながら、ウェルズが部下を相手におのれの所行を語るのを、橋の下で、彼らを追いながらヘストンが録音していく場面の緊迫感あふれる上下の動きには、もはや形容する言葉もない。
映画評論家 上野昂志