<テレビウォッチ>「嫌なことはたくさんあったけど、イラク人のことを嫌いになれないんです」
「そろそろ日本人と向き合いたい」
高遠菜穂子。覚えている人も多いと思う。小泉政権が『ブッシュの戦争』支援を真っ先に打ち出し、自衛隊がイラク入りした直後の2004年4月、自衛隊撤退の要求を求める武装グループに人質に取られた被害者の1人だ。
8日後、解放された彼女が泣きながら語ったのが冒頭の言葉である。
ところが帰国した彼女を待っていたのは、国内で巻き起こった激しいバッシングだった。「自殺も考えた」という彼女を救ったのは、ほかならないイラク人だった。
生きる力をもらった高遠は再びイラク支援へ。心の傷が深かったのは人質事件より日本でのバッシングだったようだ。支援はひっそりと慎重に続けられ、6年が過ぎようとしている。
「そろそろ日本人と向き合いたい」という思いで自らの思いを打ち明けたのを番組が取り上げた。
高遠がそれまでの仕事をやめボランティア中心の生活を始めたのは30歳の時。今から10年前のことだ。
イラクへは、03年3月に始まった『ブッシュの戦争』を契機に戦闘続くイラクにひとりで入り、親を失った子供たちの生活支援を始めた。人質事件に巻き込まれたのは4度目のイラク入りの時だった。
イラク人宗教指導者の仲介で無事解放されたが、帰国した彼女をバッシングが待ちうけていた。
「政府の退避勧告を無視してイラク入りしたのは自業自得」「救出に税金を使うのはムダ遣い」「国益を損ねた」など、「自己責任」を問う激しい言葉が向けられた。
「あの時」のことを高遠は次のように振り返る。
「自己責任という意味合いは『死ね』ということだと思った。『帰ってきたのは間違いだった』『生きて帰ってきたのがいけなかった』『生きて帰ってきたから家族も責められるんだ』そういうふうに聞こえた」
睡眠薬や精神安定剤が必要な状態で、自殺を考えるほど追いつめられたという。
心に深い傷を負った彼女を救ったのはイラク人からのメールだった。メールには「親愛なる菜穂子、君はイラク人のためにベストを尽くしてくれた」「信じて下さい。私たちは皆あなたを誇りに思っています」などと書かれていた。