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<ラブリーボーン>スピルバーグにピーター・ジャクソンという、ハリウッドきっての大物がタッグを組み、製作に名を連ねた。原作はアリス・シーボルトによる同名タイトルのベストセラー小説。製作者のビッグネームだけを見れば娯楽作だと思い兼ねないが、その中身はなかなかにシリアスなものである。
異世界から現世を
家族と幸せに暮らし、写真を撮ることが大好きだった主人公のスージー。だがある日、近所の男によって殺されてしまう。まだ14歳だった。家族はその事実を受け入れることが出来ずにいたが、やがて現世と天国の間にある異世界に辿り着いたスージーは、その場所から現世の家族を見守り、聞こえるはずもない声を家族に向けて送り続けていた。だがしかし残された家族に次第に危機が迫っていく。
スージーが異世界から現世を見ていたように、映画はスージーの視点で描かれているように見える。その視線の先には、常に家族を思う温かい気持ちが表れている。そしてスージーは悲観的になってしまった家族に対して必死に語りかける。「わたしはここにいるよ」と。
しかしそれに対して虚しくも謎の行動をする母。ある日突然家を飛び出し、果樹園で働き出す。1日も早く辛い出来事から解放されたいという気持ちは分かるが、必死で犯人を探す夫と、スージーと同じ目に合うかも知れない子供2人を置いて出ていくとは……。それじゃスージーの必死な語りかけも無駄になってしまうじゃないか。どこにこんな母親がいようか。いまいち肝となる家族の絆が見えない上に、ドラマ要素が薄っぺらなのが残念だ。
見たあと暗い気持ちにならない
これは殺されてしまったスージーと、残された家族が互いを失ったことにより、そこから気持ちを蘇生していくという、言わば再生をテーマとした、とても前向きとも取れる映画である。なので14歳の少女が殺されてしまう話でも、見たあとに暗い気持ちにならない。それはもともと原作が持つテーマ性のおかげかも知れないが、ビジュアル効果によるものも大きい。
スージーが辿り着く異世界が、ピーター・ジャクソンの手によって非常に幻想的な世界になっており、この映画のファンタジー色を強めている。ただしその映像が独創的なあまり、抽象的な動く絵画のように見えてしまう。とくに現世での暗い描写のあとに場面替わりすると、あまりのギャップに違和感をもつかもしれない。
ラストの描写についてもいろいろと賛否両論あるようだが、この映画で1番素晴らしいのは誰が何と言おうと、犯人に扮したスタンリー・トゥッチである。眼鏡ハゲのロリコン変態野郎で、リアルにそのへんにいそうなもんだから、余計に気持ち悪い。でもスゴい。動作から息遣いまで徹底して変態になりきっている。映画の中で変態が1番スゴいというのもおかしな話ではあるが、何とこの役でオスカーにノミネート! ただ本人どんな気持ちなんだろう……。
巴麻衣
オススメ度:☆☆☆