<テレビウォッチ> 最近聞かなくなり、映画やドラマの台詞、歌の歌詞にもあまり見かけない言葉。
「惚れる」
大好き、超スキという言葉に置き換えられて、惚れるは影をひそめた存在になっていないか? 事実、私も忘れていた。日常会話でも「惚れてるんだ」とはあまり言わないし出てこない。Wエンジンの「惚れてまうやろ~」は、死後になりつつある言葉を笑いとして表に出したことで、受けたようにも思う。
恋と愛と惚れる
そう、「惚れる」はどうも照れくさくそして重い。だから使いたくない……『好きな』人に『惚れた』と伝えたら、それで面倒な女だと思われてしまいそうで。仕事など人付き合いでも『惚れこんで』やっていると言われると、少し過熱気味でストイック過ぎる印象を受ける。そうして、人と距離を保とうとしてしまう。そんなふうになってはいないか?
なぜ「惚れる」という言葉に引っかかったのか。とある映画プロデューサーと仕事をした際、久し振りにこの言葉がたびたび登場したからである。氏は、映画とは惚れて惚れて作るものだと力説。脚本、監督、音楽、俳優に惚れて情念で作り上げるのが映画だと。
正直この話を聞いたときは、「重い」と感じた。しかし、話を聞いていくうちに、物事をつくる原点こそが「惚れる」ことなのだと次第にわかってくるようになる。「惚れる」という言葉が余波のようにジワジワと次第に体の中に広がってくるような感じだ。
だが「惚れる」は、言葉だけだとなんと軽薄だろうか。口に出した途端、場末の飲み屋で流れてくる演歌のように、どこか商売目的でペラペラした1枚紙のような響きがある。
そこで、「惚れる」の意味合いに近い「恋」と「愛」を取り上げてみよう。3つの言葉のイメージを図式化してみると……
「恋」<「愛」<「惚れる」
と、こうなる。がしかし、辞書で調べてみると―
「愛」は、かわいがる。いつくしむ。大切にする。とあり、
「惚れる」は、放心状態になる。特に、それだけに夢中になり、他のことを忘れ去る。人物などに感心して心をひかれる。
「恋」は、異性に愛情を寄せること、その心。本来は(異性に限らず)その対象にどうしようもないほどひきつけられ、しかも、満たされず苦しくつらい気持ちを言う。「恋はたのし~」のような言い方は、1910年代ごろからのもの
―と明記されている。
つまり、本来は
「愛」<「惚れる」<「恋」
と、現在のイメージとは全く違っていることが分かる。なぜ、時代を経てこうもイメージが変化したのか? この疑問をおずおずと氏に後日話してみたところ、
「惚れるっていうのも、自分がダメになってもともとぐらい能動的な行為だよ。そして一方的に思っていても成立するほどの強烈な片思いだと思う」と。
これまた重い……
謎は解けなかったが、氏がどれほど強い思いで作品に携わっていたのかだけは再度わかることになった。
「惚れる」
私たちはどれだけ「惚れて」仕事に取り組んでいるのだろうか? 1年を省みる際、「惚れる」をキーワードに思い返してみると、ブルブルっと背筋が震え、寒さは季節のせいだけではないと気づかされた。
モジョっこ