配給:ティジョイ
<ワカラナイ>母子家庭で育った16歳の亮(小林優斗)は田舎町の粗末なアパートで1人暮らしをしている。入院している母親を抱えながら、亮はコンビニでアルバイトをしながら生計を立てている。脚本・監督は『歩く、人』『バッシング』などで知られる小林政広。
上記にも書いた物語の大まかなあらすじや背景を冒頭の長回しのワンカット(亮がコンビニのレジを不正利用する)で観客に示す手法は見事で、プロの仕事を身震いするほどに感じた。
剥き出しの「生」
薄暗い部屋の中、1人で亮は、カップラーメン、おにぎり、パンをむさぼり食う。カップラーメンの「3分」も待てず、固まった麺を一気にすすり上げる亮の姿に、成長期の空腹という「生」が剥き出しにされつつ、ひっそりと「死」が同居している。「食わないと死ぬ」という極限の状態の伝え方が秀逸だ。台詞も少なく、音響も一切使われない中で、何かの脅迫観念にさらされたように、亮は存在し、ただ生きている。ただ生きようとしている。その剥き出しの「生」のリアルは「ドキュメンタリー映画のような世界」などという比喩では生ぬるい。
亮を捉えるカメラは、目まぐるしく動く。目が酔いそうになる手持ちカメラは、亮が対峙する世界そのものだ。外に出れば通行人が、だらしなく髪が伸び、薄汚い格好の亮を見る! 見る! 見る! それどころか、カメラすらも見る。通行人がカメラを見るなど、映画の撮影として欠陥となるはずだが、この作品はその行為すらを「世界の目」という迫真的なリアリティーに昇華させ、呑み込んでしまう。
生きるというのは権利なのか義務なのかワカラナイ。生きることがどうしてこんなに辛いのかワカラナイ。大人のせいなのか、自分の心の弱さなのかもワカラナイ。生きていても辛い、死ぬのも辛い。どちらを選べばいいかもワカラナイ。夢はあるのに、それどころじゃない。もう何もかもがワカラナイ。
ただし、生きている限り、生きることを選んでいるのかもしれない。亮は、それを知ってか知らずか、独特な体勢で路上を走る! 両手をやや横に伸ばしながら、背中に翼を生やしたように無表情で走る。何度も走る! それは、希望を失った少年のささやかな希望未満甘え以上の行為のように思え、涙を禁じえなかった。
川端龍介
オススメ度:☆☆☆☆☆