<テレビウォッチ>元参院議員の田英夫さんが11月13日に亡くなっていたことがわかった。86歳だった。本人の意思によって、告別式は17日近親者だけですませたという。
小倉智昭が「ニュースキャスターという呼び名は、この人が初代。笠井君の世代では知らないでしょう?」と聞いた。笠井信輔は「少し知ってます」。小倉は、「キャスターをお辞めになったときのことをはっきり覚えてます。大学1年の秋だった」
東大在学中に学徒動員で特攻隊員になったが、終戦で命拾いをした。これが田さんの原点になる。共同通信記者からTBSのキャスターになり、終始反戦・平和を訴え続けた。
小倉のいうキャスター辞任は1968年。その前年にハノイに入ったレポートで、「北ベトナムは負けていない」とアメリカを批判した。ベトナム反戦運動が高まりつつあった時期で、メディアはハノイ報道を競っていたが、テレビの映像に対する反響は大きかった。しかしこれが、降板につながったとされる。
小倉は「(政府筋からの)圧力があったと思う。TBSはそのあとに、成田闘争の反対派の学生らをマイクロバスに乗せたりして問題にもなっていた」「田さんはいつも『それではまた明日』といっていたのに、最後の放送では『それでは皆さん、さようなら』とだけいって辞めた」
田さんはその後71年の参院選で、社会党から全国区に出てトップ当選、以後当選6回を数え2007年に引退した。この間、菅直人、江田五月らと社民連を立ち上げるなど曲折はあったが、反戦・平和は終生変わらなかった。
小倉は「反骨の人でした。お話をうかがうと、温厚でやさしい雰囲気の方で、政権交代を喜んでおられたのでは。わたしもその後、こういう仕事についたので、惜しい先駆者を亡くした」と死を悼んだ。
が、これにはコメントを求めず、「話はがらっと変わりますが、仲間由紀恵さんが?」となっちゃった。そうだよな、スタジオは高木美保、デーブ・スペクター、前田忠明だからコメントできないわな。あらためて、年月を思った。