<テレビウォッチ>市橋達也容疑者逮捕の号外の裏側にもうひとつ号外、「森繁久弥さん死去」。
いや、こっちが一面だった。老衰で亡くなった人の号外というのも珍しい。大正2年(1913年)生まれというから、私事で恐縮だが、亡きわが母親と同い年。よくまあ、とあらためて感嘆する。96歳の大往生だった。
88歳のとき、小倉智昭がやったインタビューが残っていた。小倉54歳。「森繁久彌愛誦詩集」というCDに、自分の詩が入っている。「役者 役者は可愛そう 人の気うかがい眼をよんで 金とりすぎて気がひけて……」
「やめてくれっていったんだけどね……まあ照れくさくて」とタバコを吸ってる。「みなさんいい詩をつくりましたね、残しておかなきゃいけない」
小倉が「役者とは森繁さんにとってどんな仕事ですか?」とつまらぬ質問を出す。が、答えがよかった。
「どうして役者になったかわからないねぇ」
小倉「芝居で100%満足したということは?」
「ない。人間はウソに始まりウソに終わるような生活をしてる。そういう中で芝居をやろう、真実を訴えるのは大変困難だ。ボクは芝居をやりながらいつも『これはよそごとじゃないよ、オレのことだ』、そう思ってやってる」
出演映画300本以上、舞台では「屋根の上のバイオリン弾き」19年間、作詞作曲の「知床旅情」、1991年には大衆芸能で初の文化勲章授章……活動は幅広く、多彩だった。
小倉「最近は若い女性の手を握る機会は?」
「もう青春の機能が全部ダメ。ないというとあんまり寂しいからあるような顔をしてるけど」
小倉はあらためて、「社長シリーズの話をしたら、あんなもの芝居じゃないよとかね。それから下ネタがお茶目できれいでね。すごいなあと」という。これもまた、森繁の売りだった。
映画「夫婦善哉」で共演した司葉子は、「遊び人でいらしたけど、それが森繁さんのキャラクター。私は新人で清純女優だったので、会社から森繁さんには10メートル以上近づくなといわれてました」
レポートした武藤まき子も、「私も触ってもらった。ハグするんですけど、手が微妙な力加減で動く。その具合で、今日は元気だなとか」
まったく危ない話。こちとらが下手に真似しようものなら、たちまち御用になっちまうよ。しかし、男は何歳になっても助平でないといけない。
高木美保は、「京都の撮影所で後ろから『お嬢さん』と声をかけられて、和服だったんですけど、『似合っててかわいいね』と。手を握ってとんとん。嬉しくて、演技も調子よくて」
小倉は、「市橋容疑者ごときに時間を割かれて……もっと伝えたいことがいっぱいあるのに」と悔しそうだった。