「先駆者」加藤和彦の自殺 その「巨人」ぶりとは

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<テレビウォッチ>加藤和彦(音楽プロデューサー)が滞在先の軽井沢のホテルで自殺した。親族や友人に送った手紙には「音楽でやるべきことがなくなった」と書き遺していたといわれる。

   「帰ってきたヨッパライ」「あの素晴らしい愛をもう一度」「悲しくてやりきれない」など、彼が関わった曲を、かつて、みのもんたはディスクジョッキーとして深夜、ラジオで流したらしい。「深夜放送の花でしたね」(みの)。

   今日(10月19日)のコメンテーター、末吉竹二郎(国際金融アナリスト)は「大学卒業して就職のころ聞いた」と話し、杉尾秀哉(TBS解説委員)は「よく歌っていた」と述べる。

   訃報を報ずる「スポーツニッポン」の記事を紹介しながら、みのが「相当、思いつめていたんですかね」と口にすると、杉尾は「何事にも完璧を目指される方みたい」と受けた。

   杉尾はさらに説明を続ける――フォーク・ブームをつくった。「サディスティック・ミカ・バンド」を結成、海外に進出する日本のアーティストの先駆けになった……あらゆる意味で先駆者。天才的なところがあった巨人――

   番組は、松任谷由実、坂崎幸之助、泉谷しげるなど音楽仲間の「お悔やみ」を伝えるが、ショックを受けている様子がありあり。影響力が大きかったことをしのばせる。

   みのが「残念ですね」と何度も繰り返していた。享年62。合掌。

文   アレマ| 似顔絵 池田マコト
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