<テレビウォッチ>アジア最高のテノールといわれながら、甲状腺がんで一時声を失い、失意のなかからリハビリで立ち直ったベー・チェチョルがスタジオに登場、「アメージング.グレース」を歌った。今週末の東京公演から活動を再開するという。
教会の聖歌隊で才能を見いだされたベーは、28歳でイタリア・国立ベルディー音楽院の声楽科を主席で卒業、ヨーロッパで活躍していた。が、2005年甲状腺がんがみつかった。
ドイツで行われた手術で、声帯の右側の神経を切断したため、声が出なくなった(声帯麻痺)。これを救ったのが京都大学の一色信彦名誉教授。声帯再生の第一人者だ。
局部麻酔で、声を出させながらの手術。そして、手術が終わったとき、手術台で、教会で覚えた賛美歌を歌った。そして妻ユンヒとのリハビリ。長い音が出ない、短い音から始める。「呼吸が問題なんだ」。
最初の手術で横隔膜の神経も切断していたため、右肺が小さくなっていた。しかし、これもリハビリを続けるうちに、大きくなっていた。「普通には起こらないこと。奇跡といっていい」と一色教授も驚く。
このあたりを、NHKハイビジョン特集「あの歌声を再び」からの映像で見せた。そしてベーがスタジオに。小倉智昭と中野美奈子が聞いた。
――甲状腺がんと聞いたときは?
「あぜんとしました。歌を歌うわたしには大変なことでした」
――リハビリはどれくらい?
「手術が2006年4月でしたから、以来ずっと」
――「声が出なくなったときは?」
「つらかった。手術をすればすぐ声が出ると思っていたので」
――ヨーロッパで活躍していた頃とどう違うんですか?
「以前の声の半分くらいしか出ない」
――「以前は3オクターブ半くらい。音域も狭くなりましたか?」
「中間の音を出すのが大切なんですが、まだまだです」
そしてピアノの伴奏で歌い出した。朗々たる歌声。とても障害を経たとは思えない。これで「半分」とは。中にこんな一節があった。「I once was lost, but now am found(道を見失っていた私だが、いま見いだされた)」
小倉が、「声をうしなっていたとは思えない」
ベーは「多くの方に支えていただいた。感謝してます」
小倉は、先9月30日に出版された「奇跡の歌」(ベー・チェチョル著)と、2枚のCDを見せた。全盛期のものと復活後の歌声だという。リサイタルは東京、名古屋、大阪で行われる。