釜石に「日本の未来像」みる
グループは宮城・釜石市を日本の未来像と位置づけ4年間調査してきた。かつて製鉄の町だったが、1989年に最後の高炉が止まって、以来町は縮小を続けている。
市は企業誘致を目指したが、撤退も続いた。残った企業に理由を聞いた。答えは「高い技術を持つ人材」と「利便性の高い港」だった。どちらも、製鉄が残したものだ。市はその「強み」をいかして誘致を続け、いま着実にふえているという。
希望学はこれを「ローカルアイデンティティーの再構築」と呼ぶ。希望の再生に大きな役割をはたすものだと。
また、若い世代ほどUターン組が多いことがわかった。その1人、水産加工会社を経営する小野昭男は、九州の大学時代の後輩とのつながりをテコに、商売を伸ばしていた。いま年商12億円。
希望学は「ウイーク・タイズ(緩やかなつながり)」と呼ぶ。小野も「ずっと釜石にいたら持てなかった発想」という。
逆に八幡登志男(78)は、ずっと地元でがんばった人だ。元は林業。遊園地で挫折。70歳で7000万円の借金をしてわき水販売会社を起こした。いま従業員7人で立派にやっている。八幡は「生まれたところ、ここしかない。誰かががんばらないと」という。
玄田教授は、「沢山のヒントをもらった。八幡さんは『3人わかってくれる人がいれば大丈夫だから』といっていた。希望にはタナボタはない。挫折や失敗を乗り越えた先に希望がある」と。
あらためて、こうしたフィールドワークを政治にぶつける手だてが必要だなと思う。民主党にそうしたアンテナはあるかどうか。
ヤンヤン
*NHKクロ―ズアップ現代(2009年9月14日放送)