山城新伍の豪快と無茶 テリー「あの頃の人って…」

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   <テレビウォッチ>俳優をはじめ多彩な活躍で知られた山城新伍(本名・渡辺安治)さんが8月12日、東京都内の特別養護老人ホームで亡くなっていたことがわかった。70歳だった。

   東映ニューフェース、二枚目俳優として1960年の子供向けテレビドラマ「白馬童子」で人気を得たが、東映の「仁義なき戦い」シリーズなどのあと、75年の深夜テレビ番組「独占!男の時間」の司会でバラエ ティー番組に進出。

   「チョメチョメ」などの言葉を発しては、「二枚目」「エッチなおじさん」「歯に衣着せぬ辛口コメント」と多彩な顔で人気をはくし、ときには芸能界のタブーにも切り込んだ。

   私生活では、結婚、離婚、復縁、さらには娘さんからの絶縁など話題も多かった。2005年67歳のときに糖尿病を告白して表舞台から姿を消し、一人暮らしだったが、06年週刊誌に「認知症で食べこぼし」と報じられたときは、カメラの前で反論していた。昨08年春ごろからホームに入っていたという。

   加藤浩次が、「びっくりしました。テリーさんはお仕事なさったんでしょ」

   テリー伊藤は、「東映の黄金時代、いちばんいいころのスターですよね。話術がしっかりしていて、山城さん、(大橋)巨泉さんとかタケシさんあたりからテレビで本音をいうようになったが、こんなこと言っていいんだと、新鮮だった。せりふもいえる人だが、フリートークがね」

   で、一息いれて、「酒の飲み過ぎでした。スポーツジムもない、体にいいことをするなんてよしとする時代じゃなかった。ステータスというか豪快というか。それがもったいないよね。(石原)裕次郎さんも含めてあのころの人って、無茶しすぎだった」

   井上公造が電話で、「去年の3月ホームへ入って、糖尿病で車いすだったらしい。お見舞いに行こうとした人にも、会いたくないと。衰えた姿を見られたくなかったんでしょう。あくまで二枚目スターを貫かれたんだと思います」

   「レポーターとしてつきあったが、ばれたらオレたちの負けだが、ばれなかったら勝ちだ、みたいなことで(テリーがにやり)、何か発見して取材に行くと、わかったと取材に応じてくれた」

   かとうかず子が「80年代に映画でご一緒したんですが、いつも元気でがんがん飲んで、というイメージ。でも70ときいて、若いなぁと。もっと年上の方だと思っていた」

   テリーが、「山城さんのことですから、老人ホームの女性をくどいてますね」(大笑い)

   加藤が「残念です」といったが、全盛期の山城をよく知らない世代なんだよね。 

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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