「脅し」に屈しなかった大原麗子 その強さと孤独と病気

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   <テレビウォッチ>こちらは「生涯女優」を貫こうとしてひっそりと亡くなった大原麗子さんの壮絶な女優人生の続報。

   大原さんは解剖の結果、不整脈による内出血で今8月3日(発見される3日前)に死亡していたことが分かった。

   大原さんの遺体は8日、92歳の母親と弟に見守られながら荼毘に付され、9日に数人の近親者のもとでひっそり密葬が執り行われたという。

   弟によると、母親は「早く死にたいといっていたのが死ねなくて、なんでこうなるのか……」と悔やんだという。

   また弟は姉の女優としての姿勢について「病気に関係なく自分の気に入った仕事以外はいっさい、条件が良くても受けなかった。断っていると依頼がこなくなることも本人は覚悟していたようですけど……」と。

   妥協しない女優の仕事。それだけに受けた仕事へのこだわりは壮絶そのものだったようだ。真似のできない数々のエピソードが伝わっている。

   「足の指を骨折しても舞台に出演」したり、「NHKの大河ドラマ『春日局』撮影の際、ポリープで声が出なくなったのに薬でしのいで出演」したりした。ほかにも「リハーサルから本番まで10回以上も本気で涙を流した」などなど。

   とくに感心するのはセリフ。『春日局』ではすべてセリフを頭に叩き込んで撮影に臨んだ。主演者が撮影現場に台本を持ち込まないことで、周りの俳優を触発する効果があったという。

   またこんなエピソードも。極道の妻の人生を描いたドラマの撮影中、暴力団からクレームがついて台本を変えることに。それを大原さんは「この通りやってくれ。(暴力団に)脅されたくらいで妥協したくない」と。

   この時のことを久野浩平監督は「放送しませんよといっても、そのシーンを絶対に撮れという。そのくらいの強さを持っていた」という。

   作家の吉永みち子が「これだけの強さを持った人が晩年になって、なんでこんなに孤独なんだろう。病気を受け入れることに抵抗があったのかもしれない。病気を受け入れることができていたらもっと……」と、才能豊かな女優の孤独死を残念がった。

文   モンブラン| 似顔絵 池田マコト
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