早産球児「最後の試合」 「ヒット打ちたい」かなったか

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   <テレビウォッチ>野球といえば横浜一色の「みのもんた・朝ズバッ」が珍しいストーリーを流した。7月9日横浜球場で、1人の小柄な高校選手がバッターボックスに立った。願いはヒット1本。「それが父と母への恩返しだから」と。

これがルーキーズだと

   横浜商科大学高校は甲子園出場3回の強豪。野球部員は138人もいる。3年生の梅山浩太(17)は、身長161センチ、体重48キロと、飛び抜けて小柄だ。

   1991年に生まれたときの体重は746グラム。6か月の早産で、命も危うかった。NICU(新生児集中治療室)に4か月もいて、ようやく退院できたが、幼稚園でも小学校でもずっと小柄。風をひくと肺炎になったり、体も弱かった。

   父親(48)が野球をやっていたことがあって、浩太も野球が好きだった。中学でははじめ陸上部に入ったが、隣で野球部が練習している。高校に入ると、迷わず野球部の門をたたいた。

   金沢哲男監督(51)は、未経験でも受け入れる方針だが、初めて入部を断った生徒が彼だった、「体格は小学生、遠投は10メートル。キャッチボールとかスイングをみて、やばいな、危険だなと思った」という。

   監督は母親(45)に電話で「危険だから」と告げた。が、父は誕生の経緯を話し、「本人が納得するまで」と頼み込んだ。以来毎日午前4時半起床、5時15分に家を出て、部の練習開始より1時間早い6時ころからグラウンドで1人バットを振った。

   しかし、体格だけはどうにもならない。3年間紅白戦も含めて試合にはほとんど出られず。それでも裏方に徹して練習し、後輩を励ました。そんな彼に監督は昨2008年秋、県大会にベンチ入りできる背番号25をくれた。

   母は「本当に嬉しかったですね」という。ただ、小ぶりのユニフォームに背番号が少し大きすぎたが……。

   本人は、ヒットが打ちたかった。3年生は55人いるが、「ヒットを打ってないのはボクだけなので」。9日の試合は、最後のチャンスだった。対戦相手は、横浜隼人高校。両校のベンチ入りできなかった3年生の引退試合である。

   商科大高は37人が出場した。浩太は5番ライト。打順もポジションもみんなで選ぶ。初回の打席では、セカンドフライ。2度目はファーストフライで、彼は退いた。初ヒットはついにならなかった。

   スタンドには母と、仕事を休んで駆けつけた父の姿があった。父は「2回ともバットに当たった。申し訳ないけど、息子に満点をあげたい」といった。本人は「ハンデだとは思わないが、身長はあと4センチほしい。伸びますかね」と笑っていた。

   番組は、「体重1000グラム以下で生まれても、NICUがあれば9割は救命できる」と、ここがいいたいことらしい。

   みのもんたが、「次の政権は予算をとってくれるでしょうね」「これがルーキーズだと、ヒットを打つんですが、そこを打たせないところがね……」

   甲子園の華やかさも、こうした少年たちが支えているんだと、なにかさわやかな気分になった。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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