<テレビウォッチ>「なんと11万7000人が献花しました」とみのもんた。きのう(7月5日)国立競技場で行われた石原裕次郎の23回忌の法要だ。「いまも衰えぬ絶大な人気」はまさに驚きだ。
正確には11万6862人だそうだ(石原プロ)。この日、列の先頭に並んでいた女性は、「74歳。裕ちゃんより1つ下。札幌から来ました」という。
それにしても仕掛けがすごい。国立競技場のフィールドに、裕次郎の墓がある横浜・鶴見の総持寺本堂を模した高さ17メートル、全長50メートルのセットが組まれ、内部まで再現したうえに正面には総持寺から釈迦尊像も運び込まれた。献花台の長さが50メートル。
開場の朝9時にはファンの数2万9000人。法要では僧侶120人の読経があり、セレモニーでは、100人のコーラスが裕次郎のヒット曲を歌った。まき子夫人(75)が、「裕次郎は本当に幸せです」とあいさつしたあと、石原プロの渡哲也(67)が、「天にいる裕次郎さんに声をかけてみます」と「裕チャーン」と叫ぶと、スタンドの3万5000人が唱和した。
亡くなって間もなく22年である。こんなスターがかつていただろうか。
数々の映画のポスターをバックにみのが、「99本の映画に出た。北原三枝さんには、裕次郎さんが惚れたんだそうです」……そのうち「私が住んでたのが祖師ケ谷大蔵。裕ちゃんが隣の成城学園に引っ越して来た(笑い)。改札が北と南とあって、どっちに引っ越したんでしょう……南口なんですよ」(笑い)「消防署の近く。見に行きましたよ」
みのが横江公美に、「年代からいって、テレビの時代ですか?」
横江は「そう、西部警察のボスですね。ただ、母からは聞いてます」
末吉竹二郎が、「57年の『嵐を呼ぶ男』が、中学1年でしたね。田舎でしたが、都会へのあこがれ、ほんとクールでした」
杉尾秀哉が「その年に生まれてますから、やっぱり『太陽にほえろ』が中学生くらいかな」
そうそう、そういう年代なんだよね。みのにしたって末吉と同い年です。