マイケル・ジャクソンの急死は衝撃だったね。スーパースターの死は、いつでも哀れさが漂うものだが、マイケルの場合は「壮絶な孤独死」という感じがする。
プレスリーが薬漬けの肥満体で突然死したのが42歳。日本のスーパースター石原裕次郎、美空ひばりも、晩年は病に苦しんで52歳でこの世を去った。マイケルは享年50歳。
文春のグラビアがいい。楽屋のようなところでマイケルと二人の子どもが並んでいる。お面のようなマイケルの顔と、子どもたちの愛くるしい無邪気な顔が、見る者を見つめている。
数え切れないほどの整形手術を重ね、彼は、何になりたかったのだろうか。生きていることが無意味だとわかったときは、死んでしまうか旅にでも出ることだ(アラビアの諺)。彼は死を選んだのか。
麻生首相の欠点とは
麻生政権もご臨終間近である。党役員人事に手を付け、内閣改造までやろうとしたが、土壇場で、ひっくり返され、自分で解散をすることもできないレイムダック状態になってしまった。
自民党が麻生を見限ったのは、東国原宮崎県知事に入閣を打診したからだ。実績もほとんどないパフォーマンスだけの元お笑い芸人の力まで借りて、選挙の惨敗だけは避けたいというさもしい根性が見え見えだからだ。
新潮が、「寝言は寝て言ってくれ!暴行、淫行、不倫『東国原宮崎県知事』の傷だらけの脛がゲラゲラ嗤ってる」で、彼の古傷をこれでもかと暴いている。
まずは「フライデー襲撃事件」で、暴力をふるい現行犯逮捕される。AV女優との不倫や19歳の宮崎の看護婦との浮気はご愛敬だが、1998年にはイメージクラブの16歳の少女と「プレイ」したとして事情聴取されている。半年間謹慎した後、今度は、後輩に暴行を働き傷害容疑で書類送検。
知事になってからも、女癖の悪さは収まらず、数々のスキャンダルが週刊誌で報じられた。そんな人間が総理になるかもしれないなどというのは、悪夢であり、国民をバカにするにもほどがある。
しかし、麻生首相というのは、なぜあのように信念も決断力もないのか。
その疑問に、朝日で、鳩山邦夫・前総務大臣が答えている。
「麻生さんの欠点を挙げるとすれば二つあって、一つは、人がよすぎて人の意見を聞きすぎる。それも、後から来た人の意見をね。最後に会った人の意見が麻生さんの意見になってしまう。もう一つは、保守的すぎること。党内バランスを考えてしまうのです」
要は、自分の意見も反骨精神もない、でくの坊だということだ。
こんなことだから、東国原宮崎県知事に、「僕が総裁になります」なんていわれるんだ、情けない。
欲望も裁くのか
文春の「森光子89歳 語られざる真実」は、期待して読んだが、「秘密の暴露」は全くなし。
週刊誌を読む楽しさは、特集だけではなく、小さな連載コラムに、きらりと光るものを見つけることにある。
朝日の「東浩紀の批評するココロ」が、6月26日から審議入りした「児童買春・児童ポルノ禁止法の改正」について触れている。
この改正は、児童ポルノを売ることやつくることだけではなく、入手することも処罰の対象としている。
別の動きとして、日本製のポルノゲームが英国議会で問題になったことに端を発して、CGやアニメなどの創作物の自主規制が始まっているという。
東氏は、与党の一部に、マンガやアニメなど、現実の被害児童が存在しない表現物すら「準児童ポルノ」と定義し、法の管理下に置こうという動きがあることに危惧を抱く。
彼は、実写の児童ポルノの規制は受け入れるが、「準児童ポルノ」の違法化には断固反対だという。「なぜなら、社会が裁けるのは行為であり、欲望ではないはずだと考えるからです。たとえば、ぼくには4歳の娘がいます。娘が暴力に曝されたら、むろんぼくは厳罰を望むでしょう。しかし、かりに娘がひそかに性的視線で見つめられていたとして、それが親としてどれほど耐え難かったとしても、その視線そのものを排除するために法に訴えることはできない。それが現代の原理のはずです。(中略)議論の出発点として、法はあくまでも現実の暴力と闘うもので、欲望の検閲を行うためのものではないことは、はっきりさせておくべきではないでしょうか」(東氏)
私は、児童ポルノに興味はないが、個人的にもっていることまで、処罰の対象にすることはいかがなものかと思うが、東氏のいうように、欲望の検閲の先にある、それを理由に、ネット規制への動きが加速されることを心配する。
蛇足。このところ「フライデー」が元気がいい。編集長が替わった1号目が、小向美奈子のストリップ隠し撮りで、ロック座から法的措置を云々とやられているが、完売だそうだ。
2号目の表紙「hitomiのマタニティ・ヌード」がこれまたいい。朝日の「宮崎哲弥&川端幹人の週刊誌時評」では、「フライデー」が、リニューアルして、ただの男性グラビア誌になったとこき下ろしていたが、この2人はわかってないね。
「フライデー」の小向ストリップ隠し撮りと法的な問題について、某新聞社からコメントを求められた。私は「写真週刊誌が本来もっている役割を果たしただけのこと。ちなみに、日本の雑誌の中で、毎週、肖像権やプライバシーを真剣に考えているのは写真週刊誌なのだよ」と答えておいた。