<テレビウォッチ> 「お店やさんが目に映った。シャバはいいなぁと」。19年前の1990年5月、足利市で起こった4歳の女児誘拐殺人事件の犯人とされ、無期懲役で服役していた菅家利和さん(62)が、釈放後の会見でいった最初の言葉だ。
DNAを決め手に有罪とされた最初の事件。そのDNAが最新の技術で「一致しない」とされ、再審を待たずにきのう(6月4日)千葉刑務所から釈放された。しかし逮捕から17年だ。
菅家さんは会見でいった。「私は急に犯人にされた。身に覚えはありません。でも刑事(の追及)が怖くて自供した」「親父はショックで死んだ。母も2年前に死んだ。両親の墓に伝えたい」「刑事や検事を許せない。人生を返してほしい」「これからは、えん罪で苦しんでいる人たちを支持していきたい」
DNA鑑定は当時の最新技術だった。だが、その精度は「数十人から数百人に1人」だった。足利市内だけでも一致する人物が数百人はいた計算になる。今の技術は「4兆7000億分の1」。地球上の1人ひとりを識別してもおつりがくる。
本来再審で無罪になってから釈放というのが筋だから、この釈放は異例。また、再審請求中に刑の執行停止というのも初めて。検察と裁判所の受けた衝撃の大きさを表している。
元高検検事の土本武司は、「再審でも無罪間違いなしなので、できるだけ早くという判断だろう」という。
みのもんたは「当時、これが100%ではないと分かっていたのでしょう」
土本は、「当時は検察も警察も裁判所も弁護士会も、指紋やなにかより数段優れた手段で間違うことはないと、思っていた」という。
与良正男が、「弁護団も異をとなえず、本人も自供していた」
土本も「弁護人も、彼が犯人と思い込んだかもしれない」
みのが「当時の捜査幹部は、任意で調べ自供したからといっている」
与良は「自白を強要したのではないかという疑いはある。検証しないといけない」
土本も「DNAが一致したんだからお前だという調べ方をした可能性はある。反省点のひとつ」という。
与良は「もう少し再鑑定が早ければ、時効にかからなかった」
みのが、「2000年7月の最高裁の段階で、鑑定のやり直しはできなかったのか」ときいた。ここはポイントだ。
土本は「その最高裁の判決が、DNAの正確さを認めた第1号の判決ですからね」と苦しい。
与良はさらに「死刑が執行されたケースはどうなる?」
土本はますます苦しい。「遡って検証する必要はあるでしょうね」
吉川美代子が、「試料が残っていないといけない」
過去の再審請求が退けられたケースを思い起こせば、検察がおいそれと変わるとは思えない。今回の証拠がDNAという「科学モノ」で、その試料がまだ残っていた。幸運というしかない。