裁判員制度が5月21日から始まる。重大事件を対象に、年間2万人が裁判に参加する。しかし、いまもって「なぜ市民が裁判に参加するのか」が十分理解されているとはいえない。
NHKが、裁判員候補者121人に聞いた結果では、77%が「行く」と答えたが、うち58%が「本音は行きたくない」といった。
米の実態をルポ
20代の主婦は、1月の裁判が気になった。東京・江東区のマンションで女性が殺害された事件だが、検察は、犯行の残虐性を示すために、切断された被害者の写真を法廷で示した。「ショックで人の話が耳に入らないかもしれない」
30代の男性は、和歌山のカレー毒物事件で死刑が確定した被告が、「裁判員制度でも私は死刑になるのでしょうか」といったのが気になる。状況証拠だけの難しい裁判だ。「わずかでもえん罪の可能性があったら……」
男性は、覚せい剤事件の傍聴にいったが、聞いているうちに、被告に同情してしまったという。「裁判員に求められているのは何なのか」と自問する。
国はこれまで、「時間が短い」「専門知識は不要」など、参加しやすさばかりを強調してきた。裁判に参加する意義をストレートに示すべきだったという声もある。
その市民の意識をさぐるために、取材はアメリカへ。陪審員制度で市民が裁判に参加している実態は、なかなか面白いルポだった。
陪審員制度は、陪審員だけで有罪・無罪だけを決める。また評決は全員一致である。日本の裁判員制度は、裁判官と一緒に量刑までを出す。また多数決という点も異なるが、参加する市民の意識としてはどうなのか。
フロリダの裁判所で、陪審員に選ばれた人たちに裁判長がいう最初の言葉は、「地域社会への奉仕と考えてください」だった。アメリカは、日本より小さな地域ごとに裁判所がある。