新潮「ダマされた」論を検証 その「言い訳」は通用するか(「朝日襲撃虚報」上)

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「部数増」焦っていたのでは

   ここまでは、私が編集長であっても、部員に命じて、やらせていただろう。

   島村は、金銭の要求はしなかったというが、ここが要チェックポイントである。出所したばかりで、ほとんどカネがない男が、なぜ金銭を要求しないのか。告白することによって得することはほとんどない。自分が殺したという朝日新聞記者への慚愧の念からにしては、手記を読む限り、心の底から自分のしたことを悔いているとは思えないから、ここのところを十分納得いくまで話を聞けと、指示するだろう。

   3日間にわたってインタビューを重ねたそうだ。これまで実行した事件。この襲撃を持ちかけてきたのは、在日アメリカ大使館職員。銃も弾も、彼が用意した。阪神支局襲撃は、マモルという若い衆と一緒にやったが、マモルは既に自殺している。阪神支局襲撃時、「緑色の手帳」を奪ってきた。犯行声明文を考えてくれたのは野村秋介氏だというが、彼も亡くなっている。若い時分、児玉誉士夫氏のところにいたとするが、彼も既に亡い。

   この後に、新潮側と島村の一問一答が載っている。当然ながら、その中で、一番有力な物証となる手帳について聞いている。すると「後日見せますけど」と、言葉を濁している。

   ここで記者は、「島村氏の証言を『事実』とも『嘘』とも証明できないまま3日間が過ぎた」と、正直に述懐している。

   この報告が上がった時点で、編集長が指示することは一つしかないはずだ。「島村がいっている証拠品、事件に使った散弾銃、手帳、使用したコートや手袋を見てきてくれ」

   証拠探しを懸命にした様子が書かれているが、見つからない。記者は「『証拠品』がない。それは厳然たる事実だった」と書く。

   この時点での判断は、部数が安定しているときであれば、さほど難しくない。見つかるまで継続取材である。しかし、新潮だけではないが、大きく部数を減らしている中、何でもいいから、部数増に繋がるネタはないかと焦っていたのではないかと想像するが、それほど間違ってはいないはずだ。

下に続く


元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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