スクープ一転、大誤報。4月16日発売号で『週刊新潮』は、4回にわたって連載した「朝日新聞阪神支局襲撃犯の告白」が嘘だったことを、早川清編集長名で認めたが、これは近年希に見る週刊誌界の大不祥事といっていいと思う。
これは、朝日が1950年9月27日付け夕刊に載せた、完全でっちあげ「伊藤律単独会見記」が、新聞史に汚点を残す大不祥事だったことを思い起こさせる。
私が編集長だったら
そこで、新潮が、島村征憲なる男の口から出任せのいい加減な話を、なぜ信じて掲載してしまったのかを、お詫び記事を参考にして「検証」してみることにする。
この記事の取材は、私が聞いているところ、早川編集長と編集部員の極秘プロジェクトだったようだ。では、私が編集長だったら、島村からのたれ込み、直接インタビュー、裏付け取材をどう判断しただろうか。
まず、2007年11月に、網走刑務所に服役中の島村なる男からの手紙に、阪神支局襲撃事件のことである「116号事件です」とあり、「僕自身が関与し実行した事件の数々を封印したままにして、去り逝くのを良しとするのか」という思わせぶりな書き方に、新潮でなくとも関心を持たない編集者はいないだろう。
新潮と島村の文通が始まったのは当然である。3か月後の08年1月に、記者が島村と面会する。翌日の面会で、島村は、「朝日新聞の一連の事件は自分の犯行。赤報隊の犯行声明は、右翼の故・野村秋介氏に頼んだ」と話す。疑いながらも、もしやの期待を抱かせる、うまい話の持っていきかたである。
その後、記者は島村から50通もの手紙を受け取る。中には、犯行時の様子を、「水平二連の銃口を見て、声を出そうとして口をパクパクさせたが、声にならず、同時にボクの銃口が火を吐いた」と書いてくるから、編集部の期待はますます高まったことは間違いがない。
今年1月、出所した島村を、網走にわざわざ迎えに行っているから、彼を囲い込んで、話をさせようと意気込んでいることがわかる。