<テレビウォッチ>俳優の長門裕之(75)が記した、認知症の妻南田洋子(76)の介護記録が明日(4月17日)出版される。「待ってくれ洋子」(主婦と生活社)。その内容の一部が紹介されたが、決して人ごとではない老々介護のきびしい現実と生き様が心を打つ。
「2人が選んだのは、どう生きるのかが大切という究極の選択でした」と赤江珠緒。
◇ なにもかも面倒くさいな。洋子、死のうか。「徹子の部屋」の収録の少し前、ふと口からこんな言葉がこぼれ出た。そしたら洋子はしっかりした目でボクを見た。「それはダメだよ」といった。
昨2008年11月、2人の様子を伝えたドキュメンタリー番組は衝撃だった。「あの南田洋子が……」。始まりは3年前だった。映画「22才の別れ」(07年公開)に出演した南田が、「セリフが覚えられない」といったのだ。わずか1分ほどの短いセリフに3日もかけて、「洋子もぽろぽろ泣きながら必死になって一緒に覚えた。もう胸が痛くて痛くて……」
このあと南田は、「もうだめになってきた。女優やめてもいい?」「ある日家に帰ってアッと驚いた。洋子の髪がザンバラに短くなっている。裁ちばさみでざくざくと自分で切ってしまったのだ。女優が髪を切るのは、何かの心情や決意の表れだという」
昔の映像はいくらでもある。映画「太陽の季節」での輝くような2人。「本当の夫婦になったなと思うのはここ4、5年」というのは、10年前の姿だ。昨年のドキュメンタリーではまるで別人だ。それが交互に出てくるのは、残酷ですらある。
今月1日、南田さんが意識障害を起こして救急搬送されたときも、「寝たきりになるんなら、ボクの責任だと思いました」「もうキスしないから、目を覚ましてくれ」と涙ぐんだ。
実はこの2月には脳梗塞を起こしていた。「車椅子に乗せたら、身体がどんどん右へ傾いていく」「洋子が全てをまかせてきたときには、もう持ち上げられない。これが一番つらい」「体力、気力、全てを総動員して、それで燃え尽きてもいいじゃないか」と書く。
そして最後に「もし洋子が死んでしまったら……いまこれほどの恐怖感はない。俺は洋子の死にはとても立ち会えない。洋子より先にいってしまいたいという気持ちがどこかにある。でもそうなったら、やっぱり洋子がかわいそうだ」と記している。
鳥越俊太郎は、「老いていくことは悲しい。長門さんは、見せなくてもいいような事をさらして、生きるとはどういうことかを問いかけている。同情とか辛い悲しいじゃなくて、ある種の感動を感じ取れる」
赤江は、「2人で映像で表現しているような」
やくみつるは「どの夫婦も自分のことにフィードバックさせる話ですね。来月結婚する珠ちゃんだって、これから何が起こるか……」
この2人の物語、長門裕之・南田洋子のドキュメンタリー第2章が、4月20日19時からある。長い長い番宣なのでもあった。