<テレビウォッチ>金賢姫元死刑囚(47)の日本語は滑らかだった。「確かに八重子が教えた日本語だなと思った」と飯塚繁雄さん(70)はいう。
非情な北朝鮮の政治に翻弄された3人が釜山で対面した。大韓航空機爆破の実行犯、金賢姫元死刑囚と拉致被害者、田口八重子さんの兄飯塚繁雄さん、田口さんの長男飯塚耕一郎さん(32)。
田口さんが2人の幼子を置いたまま突然行方不明になったのが1978年。11年後その消息を初めて伝えたのが金元死刑囚だった。工作員教育で日本語を学んだ、李恩恵という日本女性が語っていた家族の状況が、田口さんに合致したのだ。
が、兄の飯塚さんがそれを確信するまでには、さらに時間が必要だった。耕一郎さんは飯塚さんの子として育てられていた。事実を知ったのは21歳のときだ。北朝鮮は田口さん拉致を認めたが、すでに死亡したといった。
金元死刑囚の証言は、他の拉致被害者についてもいくつかあったが、韓国で北朝鮮寄りの政権が続いたため、対面は実現しなかった。現在の李明博政権になって、ようやく実現した。金さんが公の場に姿を見せるのは12 年ぶり。日韓の合意とはいえ、会見自体が十分政治的だ。
釜山の会見場で初めて顔を合わせた3人。金元死刑囚は、田口さんの面影を宿す耕一郎さんに、「抱いてもいいですか」と涙をためて抱きしめた。「お母さんは生きていますよ」
3人だけの面会は1時間半に及んだが、金元死刑囚ははじめ田口さんとの生活についてしゃべり続けたという。その日本語のなかに、兄繁雄さんは八重子さんの口調を感じとった。「『ね』をやたら使ったりするところが」という。
終わったあとの会見で金元死刑囚は韓国語だった。「北朝鮮のプライドを傷つけずに、心を動かすような方法を研究して解決してほしい」。飯塚繁雄さんは、「この日をきっかけに、それぞれの幸せを」。耕一郎さんは「韓国のお母さんになりますよ、と励ましてくれた」
小倉智昭は、「長いこと使ってないはずの日本語を、あれだけきちんと話すというのは、いかに田口さんがきちんと教育したかを示してる」
辺真一・コリアレポート編集長は、「外見も変わった。言葉に北朝鮮なまりがなくなった」
現地でレポートした大村正樹が、「大韓航空機爆破の金賢姫が目の前にいるので、鳥肌がたった。昔の写真を見ると」と写真を示して「たくましい足をしていたが、きのうの姿は、小柄で華奢な女性だった」という。
世代が違う眞鍋かをりは、「リアルタイムで見ていないので、複雑すぎて実感が湧かない」
岩上安身は「金はにせ者だとか事件は韓国の陰謀だとまでいわれ、この問題では日韓で温度差がある。今回も政治的変化がなければ実現しなかった」
辺は、「日韓の歩み寄りは一歩前進だが、李政権がどこまで本気かが問題。会見で金の『北のプライドを傷つけずに』には感心した。他の脱北者と違う。解決のヒントがあるような気がする」
佐々木恭子が、「政治が安定しないとだめでしょうね」といった。
拉致問題の再調査も、北朝鮮は制裁解除をたてに手つかずのままである。永田町があの状態では、どうにもならない。