存在感増すイランの自信とトラウマ アメリカはそれを理解できるか

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   アメリカとイランの関係が動き出すかに見える。オバマ大統領が「イランとの直接対話を目指す」と発言。アフマディネジャド大統領も、「対話には応じる。ただし、公平で対等で」と述べた。しかし、イラン革命から30年の両者の隔たりは余りにも大きい。はたして「チェンジ」はあるのか。

   イランの人口の6割は革命を知らない世代だ。反米感情も、かつてとは大きく違う、とNHKテヘラン支局長はいう。「政府も国民も揺れている。若い世代は、アメリカへのあこがれもあり、経済が低迷する中で、聖職者が牛耳る体制への疑問もある。複雑で屈折した感情がある」

   アメリカにとってのイラン革命は、大使館占拠というおぞましい記憶と切り離せない。しかし、その革命の実相を伝えたいという人たちがいる。

ナイジェリア留学生「イスラム革命に捧げたい」

   当時学生だった映画監督のカマル・タブリズィー(49)は、革命の現場で映画を撮り続けていた。「これをアメリカ人に見てもらいたい。アメリカの監督と一緒にシナリオを書いて、合作を作りたい」「関係をよくしたい。もう敵意を終わりにしたい」という。

   やはり学生だった男性は、「アメリカが国王を使って革命をつぶしに来るという脅迫観念にとりつかれていた。アメリカに抗議したいという気持ちが世界に届かなかった」と悔やむ。

   しかし、イランで進んでいる現実は、重いものだ。北部の都市コムにあるイマーム・ホメイニ国際神学校は、70か国から3000人の留学生を受け入れ、イスラム法学と革命の精神を教えている。ここでは、故ホメイニ師の「闘うべきはアメリカ」の教えがいまも生きている。

   「帰国したらイスラム革命に捧げたい」というナイジェリアからの学生(24)は、イスラエルのガザ侵攻に抗議する集会に参加し、「アメリカに死を」と叫んでいた。彼らは帰国すると、シーア派の宗教指導者になる。

   国境を接するイラクでは、高まるイランの存在感が不気味だ。シーア派の聖地カルバラは、かつてイラン人の立入にきびしかったものが、いまや年間100万人が訪れている。「お陰でカルバラの経済はよくなった」と商店主はいう。

   国境を越えたインフラ整備も進んでいる。4つの県では、電気、水道、道路などにイランが多額の資金を出し、100万世帯分の電力まで供給している。住民はむろん、「イランに感謝している」。イラン大統領の上級顧問は「アメリカが撤退した後どうなるか、もう明らかでしょ」と自信たっぷりだった。

   こうしたイスラム運動の推進は見過ごせない。神学校のナイジェリア留学生の話が出た。母国ナイジェリアでは、30年前にはゼロだったシーア派教徒がいま200万人。産油国でありながら、貧困が巣くう政治のすき間へ、イランからさしのべられた手厚い医療・福祉サービスの結果である。ガザのハマス、レバノンのヒズボラと同じ手法だ。

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