今週書店に、二つの「墓標」が並んだ。月刊「現代」と「読売ウイークリー」。表紙に「42年間、ご愛読ありがとうございました」(現代)「これが最終号!ご愛読ありがとうございました」(読売)。
採算とれないというひと言で…
読売は1943年5月に「月刊読売」として創刊され、52年に週刊誌化された。第1号はB5判62ページ、定価は30円だった。
現代は、戦前、大部数を誇った「キング」が休刊した後、「日本」ができたが、それも休刊して、66年末に創刊された。
私が講談社に入社して、最初に配属されたのが現代だった。3年後に「週刊現代」へ異動するまで、本田靖春さん、小林道雄さん、柳田邦男さん、児玉隆也さんなど錚々たるライターから、編集者としてのイロハを教えてもらった、私にとっても思い出深い編集部である。
私が、二度目に戻った頃から、社内には「現代を休刊しては」という空気があった。部数は15万程度出ていたと思うが、広告が入らない。1号当たり500万がせいぜいで、あと500万増やすための方策がないものか、毎月、販売の人間たちと話し合ったものだった。
今号の巻末に、編集部からの「ラストメッセージ」が載っている。出樋一親発行人が「弊誌の闘いは収益との闘いでした」と書いている。高橋明男編集長は「偏狭なナショナリズムと非寛容の空気がこの国の深い部分に浸透して、若者たちの鬱屈した気分とシンクロしかねない危惧がある。そんな時に、この最も愛着ある雑誌の幕引きをする無念さを、いま改めて胸に刻んでおこうと思う」と記している。
自分たちの経営責任は棚に上げ、採算がとれないというひと言で、次々に雑誌を切り捨てる愚をこれからも続けるならば、口幅ったいようだが、多様な言論が失われ、結果、国民の知る権利が狭められてしまうことになる。
「立ちどまってものを考え直す手がかりを」
同じ現代で、辺見庸氏がこう憤っている。「戦前戦中は国家権力が有意の雑誌、単行本を多数発禁処分とし、戦争協力に積極的な翼賛新聞、出版物を大いにとりこんで国策宣伝に利用した。いまは権力の弾圧などいささかもないのに、伝統ある雑誌がただに売れないからといって版元みずからあっさり休刊、廃刊をきめる。とくだんの『たたかい』も苦悩もなさそうである。さばれ、売れればそれでよいのか。いうもおろか、読者諸氏の眼をゆめあなどってはいけない。いったい、なんのかんばせあっての出版か。なんの面目ありてか読者にまみえん」。
「日本一読まれない週刊誌」などと悪態をついた読売だが、今号は売れているようで、発売された当日に立ち寄った2か所のキオスクで売り切れていた。
巻頭のグラビアで、これまでの表紙を並べながら、50数年前に書かれたフランス文学者・河盛好蔵氏の「週刊雑誌時代」というエッセイの一部を引用している。
「週刊誌がジャーナリズムの上でもっている重要な使命は、一般の人々が一日単位でものを見たり、考えたりしていることを、少なくとも一週間単位にまで拡大することにある。いいかえれば、その日ぐらしの生活に押し流されている人々に、立ちどまってものを見直し、考え直す手がかりを与えることにある」
この欄を読んでくれている読者は、ぜひ、この2冊の雑誌を買い求めて、読んでほしい。「雑誌が死ぬ」ということについて考えてほしい。「週刊ダイヤモンド」の大特集「新聞・テレビ複合不況」と合わせて読むと、この国のメディアが置かれている危機的状況がよくわかると思う。