「立ちどまってものを考え直す手がかりを」
同じ現代で、辺見庸氏がこう憤っている。「戦前戦中は国家権力が有意の雑誌、単行本を多数発禁処分とし、戦争協力に積極的な翼賛新聞、出版物を大いにとりこんで国策宣伝に利用した。いまは権力の弾圧などいささかもないのに、伝統ある雑誌がただに売れないからといって版元みずからあっさり休刊、廃刊をきめる。とくだんの『たたかい』も苦悩もなさそうである。さばれ、売れればそれでよいのか。いうもおろか、読者諸氏の眼をゆめあなどってはいけない。いったい、なんのかんばせあっての出版か。なんの面目ありてか読者にまみえん」。
「日本一読まれない週刊誌」などと悪態をついた読売だが、今号は売れているようで、発売された当日に立ち寄った2か所のキオスクで売り切れていた。
巻頭のグラビアで、これまでの表紙を並べながら、50数年前に書かれたフランス文学者・河盛好蔵氏の「週刊雑誌時代」というエッセイの一部を引用している。
「週刊誌がジャーナリズムの上でもっている重要な使命は、一般の人々が一日単位でものを見たり、考えたりしていることを、少なくとも一週間単位にまで拡大することにある。いいかえれば、その日ぐらしの生活に押し流されている人々に、立ちどまってものを見直し、考え直す手がかりを与えることにある」
この欄を読んでくれている読者は、ぜひ、この2冊の雑誌を買い求めて、読んでほしい。「雑誌が死ぬ」ということについて考えてほしい。「週刊ダイヤモンド」の大特集「新聞・テレビ複合不況」と合わせて読むと、この国のメディアが置かれている危機的状況がよくわかると思う。