麻生首相「読み違い」もの 新潮VS文春「タイトル勝者」は

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   11月17日、月曜日の新聞から「週刊現代」(講談社)の広告が消えたことをご存じだろうか。

   先週、日本ABC協会(新聞雑誌部数公査機構)による本年(2008年)上半期の雑誌部数が発表になったが、加盟155誌のうち前年同期を上回ったのはわずか34誌で、2ケタ減が36誌もあった。詳しくは私のブログ「マスコミ業界回遊日誌」を読んでいただきたいが、現代は26万4389部で、ポストにも4万部の差をつけられている。私が編集長時代の1997年から比べると、3分の1にまで落ち込んでいるのだ。

中吊り広告と週刊誌の存在感

   現代の関係者によれば、講談社の経営陣は、経費削減策の1つとして、新聞広告と電車の中吊り広告を大幅に減らす方針を決めたのだそうだ。

   20億円ともいわれる年間の赤字を減らすためには仕方ないのかもしれないが、現代の「影響力」は確実に落ちると思う。週刊誌は、読者が買ってくれてなんぼの世界だが、買わない人も、新聞や中吊り広告の右にある権力批判の大見出しを見て、よくぞいってくれたと溜飲を下げてくれれば、存在感と影響力はあるのだが、現代はそれさえも捨て去ろうとしているのか。

   書かれた権力者にとって、朝、広げた新聞にでかでかと載っている批判タイトルを目にしたときほど嫌なものはないのだ。

   麻生首相は、マンガばかりで新聞など読まないかもしれないが、水曜日の新潮のタイトルを見たら、卒倒しそうになったのではないか。「マンガばかり読んでいるからだ!『学習院の恥』とOBも見放した『おバカ首相』麻生太郎」。見事である。ちなみに文春は、同じ内容だが、タイトルは、「漢字だけじゃない! 麻生太郎の『マンガ脳』」だが、どちらがいいかは一目瞭然だろう。

   新潮は、権力者を揶揄(やゆ)させたら天下一品である。新潮やFOCUSを創った名編集者・斎藤十一さんから受け継いでいるタイトル付けのうまさが、今も生きている。私も、週刊誌の現場にいるとき、何度か「うまい!」と喝采を送ったものだった。他誌編集長は、参考にしたらいかがか。

「開いた口がふさがらない」女癖の悪さ

   今週のお奨めは、新潮の「『阪大有名准教授』3度の結婚トラブル」と文春の「上智大法科大学院長に押し倒されて…」。

   私も上智大で教えているから、興味深く読んだが、どちらも、レイプされたと告発する女子大生の話がベースで、実名報道である。どっちも「いいかげんにせい!」と思わせるいい加減な教授たちだが、阪大准教授の女癖の悪さは、開いた口がふさがらない。ロシアから来た若い奥さんの嘆きが心に痛い。

   ポストと新潮のモノクロ・グラビアがいい。ともに大相撲ネタだが、ポストは「厳寒の九州場所」として、「閑古鳥さえ鳴かぬ」ガラガラな会場風景。新潮は、場所中にもかかわらず、横綱・白鵬と大関・琴光喜が、一緒に飲んで、出てきたところをバシャッ! 「仲良し相撲」が横行する大相撲は、国技の看板を下ろしたがいい。

   元厚生事務次官夫妻が殺害され、後輩の元事務次官の奥さんが刺された連続テロ事件は、世界恐慌(1929年・昭和4年)に端を発した大不況、社会不安の最中に起きた五・一五事件(32年・昭和7年)の悪夢を思い起こさせる。さらに、この事件の数年後に、青年将校らが1483名の兵を率いて「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げたクーデター、二・二六事件(36年・昭和11年)が起きるのだが、田母神俊雄・前防衛省航空幕僚長の書いた「論文」問題で明るみに出た「文民統制」のゆるみは、そんな時代への後戻りを予感させてならない。週刊誌も正念場である。


元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)ほか

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