テレビで演歌・歌謡曲を聴かなくなって久しい。Jポップ全盛で、演歌がまともに聴けるのはNHKくらいのものだ。それが、ここへきてちょっと変化が起こっている。演歌・歌謡曲CDの売り上げシェアが、2000年の3.6%から07年は10.8%に回復。新世代の歌手が、新しいファンを作っているという。はたして「演歌の逆襲」なのだろうか。
「愛のままで…」秋元順子 20万枚
「雨恋々」清水博正 10万枚
「海雪」ジェロ 30万枚
難しくてボクには歌えない
CD不況でミリオンはおろか10万枚も難しいというなかで、この数字の意味は大きい。しかし、これらが生まれた意図、動機は必ずしも同じではない。
ジェロの「海雪」をプロデュースした川口法博は「年代層を拡げたい」が動機。「これまでの演歌は、歌いやすいメロディーとゆったりリズムがヒット曲の条件だった。それで衰退した」と、作曲をロックの宇崎竜童に依頼した。
宇崎が苦労したのはさびの部分。
「あなたを追って出雲崎 悲しみの日本海」というくだりだ。
宇崎が「10回以上書き直した。難しくてボクには歌えない」というものができあがった。音域も広く細かい節回し。プロ中のプロでなくては歌えない曲、それが客層を拡げた。
秋元も異色だ。61歳、還暦を過ぎての新人歌手になった。東京の下町のクラブで、客の求めに応じてジャズから歌謡曲まで何でも歌っていた。むろん無名だが、その歌唱力にほれて、星桂三が自作の曲を持ち込んだ。
もとは印刷会社経営。10年前に大腸ガンになり、会社も倒産。病院のベッドで浮かんだ曲が「マディソン郡の恋」だった。「演歌でも歌謡曲でもジャズでもない」(秋元)曲を、自主制作でCDにしたのが、社交ダンスに踊りやすいとダンススタジオからヒットになる。これが10万枚。次が「愛のままで…」につながる。従来ポップスファンだった50代以上の女性が多いという。
作曲家の都倉俊一は、「ジャンル分けで歌が画一的になる中で、みな本物の歌い手の歌を待っていたのではないか」という。
「声が楽器のひとつになっていた」
今2008年上半期最大のヒット、青山テルマの「そばにいるね」。55万枚もすごいが、ダウンロード数が850万件に達した。「30秒の試し聴き」で売れ行きが決まり、すぐに消えてゆく時代。2か月以上トップ10にあるロングセラーが、1992年には25曲だったのが、昨年はわずか2曲である。
すぎもとまさとの「吾亦紅(われもこう)」を手がけた松下章一は、この風潮に異議をとなえる。「長い間歌ってもらえる歌がほしい。切り札は歌詞にある。歌はやっぱり言葉だ」と。「吾亦紅」は2年間で60万枚を売った。
松下がいま手がけている歌手あさみちゆきは「青春のたまり場」を公園などで歌い続けて、2年で8万枚を売った。阿久悠が亡くなる1年前に書いた詩だ。聴く者がそれぞれに自分の思いを重ね合わせられる歌詞。阿久は「現代の歌に欠けているのは場面だ。聴く人と共有できる愛しい体験。それがない」といっていた。
都倉は「ジェロを聞いたとき、なんて美しい説得力のある日本語だろうと思った。日本人の心に入ってくる。本来当たり前だったのが、ソングがミュージックになり声が楽器のひとつになってしまっていた。それが復権してきた。完成度の高い歌を期待している」という。
そういえば、日本語を壊したのはサザンだったか、吉田拓郎の字余りソングだったか。あれらは本当に新鮮だったが、あらためて30年の歳月に思いをはせた。
ヤンヤン
*NHKクローズアップ現代(2008年11月13日放送)