石井琢朗 戦力外に「琢朗道を進んで行くのみです」

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   プロ野球「横浜ベイスターズ」から戦力外を伝えられた、石井琢朗選手が2008年10月13日のブログで、現在の心境をありのままに綴っている。また、これを機にブログは休むとも報告している。

   今回の戦力外通告は、おおよそ予想していたことだったと振り返る。ひとつめのターニングポイントは連続出場が途絶えた07年から。膝の怪我を抱えていたこともあるが、以来、出場しないゲームが増えた。もうひとつのターニングポイント。それは、「空気の違いを確信した」北京オリンピックの時。

「修(村田修一選手)が抜けて、石川(石川雄洋選手)がサードを守ることになってからでした。
『1番・石川』に僕自身『これで決めたな』と思っちゃったんですね。
なんとなく、監督の考えやチームの方向性が見えた。
この時、修が戻って来てからも出番はないだろうなと悟りました。
悲しくも予想通り、オリンピック期間中、ある程度結果を残していても
出場機会がなくなりましたからね」

   チーム状況や今後の方針を考えると、受け入れざるを得ない布陣だ。が、「すごく複雑な気分でした」とも。この時期、奥さんには「横浜を出るかもしれない」と打ち明けたという。

   とはいえ、石井選手はまだまだ現役にこだわっている。自分の中で「まだイケる」という気持ちがある限りプレーし続けるし、挑戦していくと力強い。

「今日で今シーズンは終わりましたけど、僕にとってこれからが始まりです。
球団には自由契約の申し出をしました。
ほんとうにこれからどうなるかはわかりません。
もしかしたら、このまま引退!ってこともあるかも知れません。
けど、自分が決めた道です。
琢朗道を進んで行くのみです」

   ブログにはひとしきり、チームとファンへの感謝が綴られた。そして、石井選手はこう約束した。「次、みなさんに会えるのは僕の進路が決まってからだと思います」と。石井選手の挑戦がまた始まる。

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