「引退」清原のニュースバリュー みのコメントは…

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   <テレビウォッチ>最後は力一杯の空振り三振だった。23年間のプロ野球生活最後の打席、清原和博(41)は、爽やかに笑ってヘルメットをとり、ファンに頭を下げた。

参考になることが沢山…

   この日(10月1日)の京セラドーム大阪には、会場前から1万人のファンが詰めかけ、帰国したイチロー、高校からの盟友桑田真澄、亜希夫人がスタンドから見守った。久々のスタメン4番は、チームがくれた花道だ。

   第3打席で打ったライトオーバーの二塁打が往年のヒーローを思わせたが、力の衰えは覆うべくもない。この2年間は左ひざのけがとの壮絶な戦いだった。8月の1軍復帰は695日ぶりだった。しかしその直後、今シーズンかぎりでの引退を宣言した。

   試合後清原は、「きょう引退させていただきます。全国のプロ野球ファンのみなさん、23年間ありがとうございました」と涙であいさつをした。

   試合前に対戦相手のソフトバンク王監督から花束を受け、「生まれ変わったら、同じチームでホームラン競争しよう」といわれたと、会見でいった。

   清原の軌跡は日本中が知っている。PL学園の優勝を勝ち取った甲子園の星。希望の巨人に入れずに西武へ。しかし、新人王から不動の4番打者、11年間に6度の日本一のヒーローから、FAで念願の巨人に移籍。9年間在籍して2000本安打(31人目)、500本塁打(8人目)を達成したが、思うような結果は出せず、戦力外通告も受けた。

   引退の瀬戸際を、仰木監督(当時、故人)に声をかけられてオリックスへ。そのときみのは中継の清原に、「なぜそのユニフォームを着ているんだと聞きたい」と冷ややかな問いを投げていた。

   そのせいなのか、あるいはきょうのレギュラー嶌信彦、高木美也子ではダメだというのか、「8時またぎ」のあともコメントなし。早い時間の「朝ズバッ!スポーツ」でも、「清原選手の足跡は、これからの若い選手の参考になることが沢山ありますね」と、通り一遍だった。

   清原は結局、夢だった巨人入団を果たして、目標を失ったのだろう。まだ、大リーグが現実のものでなかったときだ。悲運といえば悲運。時代の子だったといえよう。

   TBSは10月3日(金)21時、特番「清原和博41歳引退SP」を組む。清原がナマ出演する。

 
文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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