<テレビウォッチ>まあ、破天荒なメダリストが誕生した。それも、日本ではマイナーなフェンシング。22歳の太田雄貴が、欧州の強豪を連破して決勝に臨み、惜しくも破れたが銀メダル。日本フェンシング界初の快挙をなしとげた。
その言葉がいい。「これでフェンシングを見る目が変わってくれますね」
ビデオを受けて赤江珠緒が、「変わりましたよー」
北京からの映像では、「率直にうれしいですね」「準決勝で足をひきずっていたのは、ステップを踏み外して恥ずかしいので、足が痛いふりをした」「4年後をにらんで、就職先があれば紹介してください」とカメラ目線。「どんな仕事がいいですか?」「あんまり出社しなくていいところが」(爆笑)
友人達も、太田選手について、やんちゃで、わがままで、自意識過剰で、信念が強い、妥協を許さない、という。父親に「スーパーファミコンを買ってやるから」と言われ始めたが、12年間練習を休んだことはないという。平安高校ではインターハイ3連覇、17歳で全日本選手権をとった。
前回アテネでは9位だった。「今回は金をとるといっていた。有言実行で、自分を追い込んでいくタイプ」と、日本フェンシング協会の山崎豊・常務理事。言葉通りに、準決勝では世界ランク1位、アテネの銀メダリストを破った。決勝の相手、独のクライブリンクは同い年の仲間。紙一重だった。
スタジオは大いに湧いたが、フェンシングを知ってる人はいない。山崎理事によると、競技人口は1万人だが、試合に出るクラスは本当に少ないという。太田選手も「ニートの星よりマイナーの星と呼ばれたい」といったそうだ。
日本人の多くが東京オリンピックで初めて見た。その頃は、まだ電光式ではなかったから、ワンアクションが終わると、判定を待つ選手に審判がフランス語で、「ああなって、こうなってこうなったから、お前がポイント」てなことをいっていた。なんとも悠長で変てこな競技だった。
それが、コードをひきずった電光式になり、いまはヘルメットに点灯する形になった。日本の剣道以上に細かくて素早い俊敏姓の競技だから、素人が見ていてもなかなか分からない。
ところが驚いたことに、太田選手が決勝に残った時点で、協会に問い合わせが相次いでいるのだそうだ。まあ、人口がふえれば頂点も高くなるのがスポーツの法則だ。悪いことじゃない。