<テレビウォッチ>幼女連続殺害の宮崎勤(45)の死刑が執行されたと、法務省がきのう(6月17日)発表した。事件発生から20年。宮崎は最後まで「いずれ無罪になる」と信じていたという。
事件は衝撃だった。4歳から7歳の幼女が埼玉、東京で連続して行方不明になり、うちの1人は遺骨が家に送り届けられた。別人をうかがわせる「今田勇子」の名前のメモ……。
1988年8月 入間市・4歳 /10月 飯能市・7歳 /12月 川越氏・4歳 /89年6月 江東区・5歳--4件はいずれも、誘拐、殺害、性的暴行、ビデオ・写真撮影だった。
そして最後の事件の1か月後、6歳の幼女に声をかけて連れ去ろうとしたところを、父親に取り押さえられ、すべての犯行がわかった。自宅からみつかった6000本ものビデオテープ(犯行時を含む)は「オタク」という言葉が広まるきっかけとなり、「誰でもよかった」という言葉がまた、衝撃だった。
裁判では、宮崎の責任能力が争点になった。「覚めない夢の中にいた気分」「ねずみ人間が現れて、何が何だか」「ピクニック気分」など意味不明の言葉が出る。ウソと本当が入り交じっていたからだ。が、1審2審とも責任能力を認め、死刑。そして、06年最高裁で死刑が確定した。
しかし、宮崎に8回面会した臨床心理士の長谷川博一・東海学院大教授は、「死刑確定を伝えても全く動揺しなかった。何かの間違い、勘違いで、いずれ無罪になると、想像の世界で希望を持ち続けていた」という。
小倉智昭は、「忘れてしまいたい事件だ」といったが、この20年間類似の犯罪は続いた。奈良の幼女殺害事件の小林薫死刑囚(39)は、「第2の宮崎勤として、記憶に残ってほしい」とまでいった。
「誰でもよかった」は、いまでは日常の言葉だ。今年に入ってだけでも、土浦・8人連続殺傷/岡山・ホーム突き落とし/鹿児島・タクシー運転手殺害/大阪・京都連続殺人未遂/秋葉原・17人殺傷……
高木美保は、「人間を殺すことで解放感を持つ人がいるんだろうなと、信じたくはないけど、思わざるを得ない。宮崎も反省しないまま死んでいった。こういう人間はもう、死刑にするしかないのか。あるいは死刑の抑止力がないのか。もしかして終身刑にして科学で分析でもしたら、再発防止になるのかと考えたりする」
デーブ・スペクターはにべもない。「だめな人間がひがみのかたまりになって、それしか正当化できない。分析してやる必要あるかどうか。遺族にしてみれば、3食付きの宮崎の19年は長すぎる」
小倉は、「そういうことを放送するだけで、第2、第3の事件を生むんじゃないかともいわれる」といったが、宮崎のまいたタネはいまも増殖している。社会がそれを育てているのは確かだ。