<テレビウォッチ>日曜日の惨劇のあと、秋葉原の商店街では、「歩行者天国をやめようか」という話も出たというが、小倉智昭は「秋葉原も一時は上野からずーっと歩けて、銀座までの時期もあった。こういう事件があったからと、やめるのはもったいない」。
小倉の秋葉原通いは、「小学校3年の時、鉱石ラジオの部品を買いに行ったときから」というから、まあ筋金入り。「真空管だ、トランジスターだ、シャシーだと、ラジオセンターの2階の細い階段をあがってジャンクあさったり……少年でもいっぱしの顔して買い物ができる町で」と、古きよき時代の自慢話。
そこから、秋葉原の変遷を延々と語った。
「電気屋さんの集合体だった秋葉原が変わったのは、パソコンとゲームだと思う。それとヤマダ電機、コジマ、ヨドバシカメラ、ビックカメラ、さくらやなど量販店ができて、アキバも再編される。小さな店を大きな店が飲み込んでいくなかで、顔を変えていって、まわりにおたくの町ができたんでしょ」
「メイドさんが出てきてから行かなくなった」と笠井信輔はいう。
「アニメ、フィギュア、ゲームソフトの専門店、メードカフェもできて、最近はぼくら、秋葉原へ行ってますと言いにくくなった」「今度事件を起こした彼もアキバへ行ってたと思うんだが、なんでというのがわからない」
竹田圭吾は「高校生からずっと行ってるが、昔と基本的には変わらないんじゃないか」という。「もともと無線おたく、マイコンおたくの町で、それがゲームになったりフィギュアになったりしても、いい意味でのおたくの文化性は続いている」
「ラジオだアンプだというのもおたくですよね。そういわれると、なんかほっとする」と小倉。
まあどっちにしても、頭のおかしなヤツが出たからといって、人が集まるのを止めようというのは、話が逆だろう。先の「大股開き女」の騒ぎで、妙な規制が強まったのだって、思えばおかしなこと。それを黙って受け入れている方がずっと気になる。