今年の3月4日、スイス・ジュネーブで開かれた国際モーターショーの会場の一角に飾られたスポーツカーが、世界各国から参加した者たちの注目を集めていた。
軽いアルミとカーボンファイバーがむき出しになったボディーが、驚きと称賛を持って迎えられたのである。それは、世界的なカーデザイナーとして知られる奥山清行(48)と、岩手県一関市にある、従業員38人の下請け工場の職人たちによって開発されたクルマで、「デザイン力と職人技の接合」(国谷裕子)といえるものであった。
地方からすぐれた商品発信
24年間にわたり、アメリカ、ドイツ、イタリアで数々のスポーツカーをデザインしてきた奥山が、出身地の山形に帰ったのは2年前。フェラーリを手掛けたイタリア時代、すぐれた商品が地方から産み出されるのを目の当たりにしてきた彼は、東北発のブランドづくりに乗り出す。それはまた、地場産業の活性化を促す試みでもあった。
「日本文化は、日本の中にいる人よりも外にいる人から評価してもらう方が正当な評価を受けることができる。浮世絵だって、伊万里だってそう。東京や山形で広告したり展示したりするよりも、ちょっとお金がかかっても、パリ、ミラノへ行っちゃった方が効率いい」とする奥山は、東京への売り込みをやめ、ヨーロッパの見本市へ直接、商品を持ち込む。
一デザイナーを超えてプロデューサー役も担う彼の販売戦略である。そして、こう言う。
「必要だからしかたなく買うものではなくて、必要ないけど欲しくてしかたなく買うものをつくる。そういうものを買うと、人は一生、手放さないもんです」
ものづくりにかける、つくり手の強烈な個性がもたらす魅力が買い手を動かす、ということだろうか。そうしたコンセプトは、現場でも職人に厳しく伝えられる。