綾小路きみまろ「どこかに分かってくれる人がいる」

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   ユニークな漫談で中高年に絶大な人気の綾小路きみまろ(57)を鳥越俊太郎が訪ねた。浅草6区を歩きながらの会話から始まる。

いい話だった

   鳥越 「21世紀になってからブレイクした」
   きみまろ 「2002年ですからね、それまでは潜伏期間。30年間売れなかったですから」

   年間150本もの舞台をこなす。舞台オンリー。客は中高年だ。

    「中高年はどこが面白い?」
    「爪の先から足の先まで、全部笑いがとれるでしょうね。若い面影は何一つないわけですから。若い頃との比較、これが当たったんです」
    「みんな現実なんだよね。それをぴしっとつく」
    「当たり障りのないところで話を組み立てていく」
    「毒舌なんだけど・・・」

    「いいところは、名指しにしてないこと。中高年500万600万人がひとつになっている。そのグレーゾーンをねらっている」
    「中高年は、身体が弱ったとか、夢がみのらないとか‥‥」
    「その弱いところをガンガンガンガンいってる。でもいわれてる方は、おれのことじゃない、隣のおやじのことだ、女房のことだ、親戚のことだと置き換えているような感じがする」「よくいってくれた。頭に来るけど本当のことだよね、みたいな」

    「みな本当のことですよね」
    「本当の話でなくては伝わらない。それを短めにして伝えるのがわたしの仕事」
    「あきらめかけたことは?」
    「だめかなと思ったことは数回あった。仲間の芸人さんがテレビでバンバン活躍してる。見たくない・・・」
    「どういう人たちですか」
    「ビートたけし、きよしさん、片岡鶴太郎さん、泉ピン子さん。同じキャバレーまわってましたから。つらかった。テレビつけたくなかった」「ただ、どこかに私を分かってくれる人がいるんじゃないかと、切れない糸が少しあった」

   20年前のテレビの映像が流れた。お笑いの挑戦番組だった。若い。歯切れはいまよりいい。だが、受けなかった。

    「おれはだめなんだと思ったことは?」
    「テレビはだめなんだなと思いましたね。そこで、テープを作って配ろうと、考え方をかえていった」
    「それが結果的にブレイクにつながったわけですね」
    「そうなんです」

   そのテープをもって、サービスエリアの観光バスに渡してまわった。気に入ったら電話をくださいと。これが当たった。そして、CD化の話になったが、最初は買い取りだった。

    「5000本くらいだったと思うが、5、600万円。テープの売り上げがあったので、そこで賭けたんです」

   それが売れた。CDランキング初登場で47位。レコード会社が在庫がない、戻してという騒ぎ。結局160万枚のメガヒットになった。

    「若い頃と同じこといっても、セクハラだ、年寄りいじめだと受け取られ、ブレイクしなかった。それが、50すぎて自分もどうきやしびれを体験してから、共感してくれるようになった。それが2002年でした」

   この月曜日、35周年記念のCDが発売された。売り上げ目標60万枚。

    「カツラの中の髪の毛がほとんどなくなったら引退しようと。まだあります」「もう一回生まれ変わっても漫談家になりたい。ただ、もうちょっと早めに売れたかった」「ただ、わたしが30代に売れてたらダメになったと思う。売れなかった30年、まったく楽しいことしか思い出さない。この6年で全部帳消し。ムダじゃなかったと」

   鳥越は「いい話だった」としみじみ。

   伊集院光が「テレビでは売れない、という自己分析力がすごい。いうのは簡単でも、売れたらテレビに出まくってバランス失うなんてよくある。あえて舞台を続けているなんてあまり例がないんじゃないか」

   赤江珠緒も「熟成された芸なんだと思いますね」

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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