優れた才能がありながら、難病のために挫折。しかし両親や周囲の温かいまなざしのなかでついに甲子園のマウンドに立った少年――元野球少年の田中大貴のレポートは、心温まるものだった。
この少年は、イチローらを輩出した強豪・愛工大名電のリリーフの切り札、柴田章吾投手(18)。中学時代に全国大会で活躍、世界大会のメンバーにも選ばれたが、突然の発病。食道などに穴があく原因不明の難病、ベーチェット病と診断された。
肉体的な苦痛のうえに、運動したら死ぬかも知れないという宣告。1年で体重が20キロも減った。高校でも野球をしたいと願ったが、どこもとってくれないなかで、「章吾の代わりはいないよ」といってくれたのが、愛工大名電の倉野光生監督だった。抜群の野球センスを「イチローや工藤(横浜)とはいかないが、近いものを持ってる」と。
しかし他の部員と同じにはできない。トレーニングも食事も別メニューで、黙々と励んだ。そして2年生の秋、ようやくマウンドに立つまでになった。彼の野球帽のひさしの裏には、「みんなのおかげ」「恩返し」などと書いてある。
愛工大名電は愛知大会を勝ち抜いて、3年連続9回目の甲子園に進んだ。柴田選手には最初で最後の甲子園。8月11日の初戦の相手は創価高校(西東京)。名電は初回に3点を奪われ、そのまま迎えた5回、リリーフのマウンドに柴田が登板した。スタンドで祈るような両親。打者をピッチャーライナーにうちとってピンチを脱した。
続く6回は三者三振。7回の打席では三塁打を放って1点を返した。しかし反撃もそこまで。柴田投手の夏が終わった。カメラは最後に、2年半を過ごした寮を出る日の柴田選手を追った。
「病気になるまで、感謝することがなかった。自分も勇気をもらったので、そういう人になりたいなと思う」と。田中の「次の目標は」の問いに、「プロ野球です」と爽やかに笑った。
笠井信輔が「いや~、見事なプレーでした」
田中は「一週間取材しながら、18歳の少年がこれだけ1分1秒を大切にいきていることを教えられた。取材にもきちんと答え、プレッシャーを心配するほどだったが、本人はこれまで以上の辛いことはない、どんなことが起きても大丈夫だと」
佐々木恭子が「あきらめずに、ホント、プロ野球選手になってほしい」
笠井も「スカウトも注目してるんだって?」
「素晴らしい評価でした」と田中。そして「野球をやめようかと思ったけど、両親が笑ってくれるのは野球をしているから。だから続けると言っていた」