「死にたい人はおらんですよ」特攻隊員が機上で歌った歌は?

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   62回目の終戦記念日、「とくダネ・特捜部」が、「アメリカ人が見た原爆と特攻」という特集を組んだ。手がかりは、アメリカ人監督が作った2本の映画だ。

個人が何かのために破壊されてしまう

   ◇「ヒロシマ・ナガサキ」(スティーブン・オカザキ監督)
   ◇「TOKKO~特攻」(リサ・モリモト監督)

   「ヒロシマ・ナガサキ」は8月6日、広島の原爆記念日に、全米4000万世帯が加入するケーブル局で放送された。ゴールデンタイムに1時間半は異例だという。カメラはこれを見るカリフォルニアの一家の表情を追った。

   元軍人の祖父(80)がいう。「当時は普通の爆弾だと思っていた。こんな影響があるとは知らなかった」

   また、ニューコークの法律学校では「戦争が早く終わって、多くの命が救われた」と、アメリカの教科書の記述通りの考えをいっていた生徒が、映画のあと「いままでの話が全てじゃなかった」と。別の生徒は「母親が灰になった話の人の心の傷がどれほどだったか」といった。

   「TOKKO」を撮ったリサ・モリモト監督は、叔父が特攻隊員だったことから、隊員たちの心にまで迫り、生き残りの「死にたくはなかった」という証言を引き出した。

   アメリカで上映されたこの映画を見た2人の米兵が先月、特攻基地だった鹿児島県・知覧を訪れた。かつて「カミカゼ」に乗艦を沈められながら生き残ったフレッド・ミッチェルさん(81)とユージン・ブリックさん(82)だ。

   ズラリと並んだ特攻隊員の写真で「これがおれたちを沈めた隊じゃないか」。手がかりは日付。昭和20年5月28日だった。「158人を失った日だ。艦は49秒で沈んだ。大きな船がね」

   2人は、映画で証言していた浜園重義さん(83)に会う。浜園さんは出撃したあと米軍機と遭遇、被弾したため引き返したが、不時着して重傷を負ったが助かった。

   「死にたい人はおらんですよ。青春かなと思ったら死なにゃならん。鬼畜米英とかいう教育を受けとったから」と、浜園さんは機上で歌ったという「ふるさと」を歌った。「うさぎ追いしかの山‥‥」

   歌う方も聞く方も涙ぐむ。終わって「特攻隊員が歌を歌うなんて知らなかった」とミッチェルさんが笑った。自爆テロと同じと思っていたカミカゼは違った。「胸につかえていたものがとれた。来てよかった」

   笠井信輔が「アメリカ人が知らないと言っていたが、わたしも恭子ちゃんも知らない映像がたくさんあって、衝撃を受けた」。佐々木恭子もうなずく。「個人が何かのために破壊されてしまう」と。笠井はさらに「被爆した女性がアメリカで治療を受けたなんて、知らなかった」とも言った。

   しかし、特攻の映像も原爆乙女の治療も、当時の日本人ならだれもが知っていたことだ。

   レポートの荘口彰久が「竹下通りで8月6日は何の日?ときいても若い人は知らない」といったが、その荘口も笠井も佐々木もすでに知らない世代に入っていることを、あらためて知らされた。やはり見せ続けないといけない。

   それかあらぬか、小泉前首相がこの日午前8時20分、昨年に続いて靖国神社を参拝した。安倍首相・閣僚の参拝はないらしい。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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