歌は世につれ、世は歌につれ・・・という言葉がある。昭和という時代には必ずその時代を反映した歌があった。ピンク・レディーの「UFO」「サウスポー」、都はるみの「北の宿から」、石川さゆり「津軽海峡冬景色」――数えきれないヒット曲を世に出した作詞家・阿久悠さんが8月1日、尿管がんのため死去した。70歳。
スパモニのスタジオでは、昭和時代を刻んだ数々のヒット曲を映像で流しながら故人の偉業をしのんだ。歌手たちの追悼のコメントとともに。
ゲストの友人・酒井政利はいう。「時代の飢餓を満たすと言ってましたが、彼は時代の空気を音楽に託して、ときには音楽で先行させました。頭のなかにおもちゃ箱を持っていたんですね」
彼の心のなかには少年が棲んでいた、と続けた。
歌謡曲の黄金期を作り上げ、さらに演歌からポップスの時代へ。その橋渡し役も担った。
「いまの歌の詞はわれわれによく伝わってこない。シンガー・ソングライターが自分の狭い世界を歌っているからであって、その点、彼の曲は国民みんなが共感できる世界を築いた」
この鳥越俊太郎の発言にゲスト陣は「おれにもいわせろ」状態になった。
「これらの曲はみんな口ずさめるもんねぇ。1週間ぐらいはカラオケでやれますよ」(北野誠)
「みんな思い入れの歌があると思うけど、わたしはジュリー。勝手にしやがれ、ですよ」(赤江珠緒)
「1曲だけ選べといわれたら困りますねぇ。自分の体の何割かは阿久悠さんですから」(中村伊知哉・慶応大学教授)
まとめは小木逸平アナ。「永遠に残るヒット曲の数々、ありがとうございました」・・・