「中国映画の全貌」シリーズは1990年から駒込・千石にある三百人劇場で開かれて7回を数えている。ところが三百人劇場が昨年末に閉館になり、今年のシリーズの開催が危ぶまれていた。しかし新宿に新しくオープンした「K's cinema」が開催を引き受け、今年も第8回目の「中国映画の全貌」が7月21日から9月7日までの7週間、74本の中国・香港映画が上映されることになった。
「北京電影学院」の卒業生が映画界をリードする
「鄧小平」の主演・盧奇(ルーチー)。本物と見まごうばかりの「そっくりさん」で、30以上の映画作品で様々な鄧小平を演じてきた
中国の映画作家たちは、アメリカで言えばコッポラのUSC(南カリフォルニア大学)やスコセッシのNYU(ニューヨーク大学)の映画科に匹敵する「北京電影学院」の卒業生が多い。大戦直後の1950年に創設されたが「文革」で目茶苦茶になった。だが再開された78年の卒業生が凄い。「初恋のきた道」のチャン・イーモウ、「さらば、わが愛/覇王別姫」のチェン・カイコー、「青い凧」のディエン・チュアンチュアン、カメラ出身から「孔雀 我が家の風景」を監督したクー・チャンウェイなど錚々たる映画作家を輩出しており、彼らに続く後輩たちも中国映画界をリードしている。
韓国や日本の監督みたいにTVを経てポッと出のアンちゃん監督では無い。基礎をしっかりと学び、カメラを覗き、脚本を書き、撮影現場を実践しているから、どんな映画も見応えがある。こんなに実力があるが、日本ではまだまだ中国映画の人気が出ないので、良い作品も紹介されない。この「中国映画の全貌」シリーズは中国映画の真髄に触れ味わうのには、絶好のチャンスだ。74本のうち筆者の見ているのは33本、半分も見ていない。昔見たチャン・イーモウの「菊豆」ももう一度見てみたい。見逃した「芙蓉鎮」は今回こそ是非と、今から楽しみだ。
国威発揚映画「鄧小平」 日本人が見ても嫌味なし
シリーズで上映予定の「鄧小平」を見た。監督は勿論、北京電影学院監督科卒業のティン・インナン。映画は多分に国威発揚作品で大ドッコイショ大会だったが、彼の偉業を知っている筆者にはスンナリと入れた。3度も失脚しても常に帰り咲き、中国国民を頑迷な「左」思想から脱却させ、「改革開放」へと導く中心人物だった。西洋の伝記ものなら、人柄、人格、人間性、家庭などを描くが、一切なし。彼の中国共産党内での足取りを忠実に追うだけ。だから人間ドラマでは無くて、毛沢東以降の中国の進歩発展を記述する教科書だ。中国人民を集めて見せる教育映画かも知れないが、外国では市場はないだろう。しかし映画の出来は悪くない。
鄧小平は、毛沢東がバックアップする江青など4人組の愚行「文化大革命」で中国が過去に逆行した歴史に触れても毛を批判しない。彼の「中国人民」に尽くす精神があったから、今の中国があるのだと礼賛しきり。香港返還条件について訪中したサッチャー首相に対して、自説「一国二制度」を厳しい口調で譲らない。日本には優しく、松下幸之助には技術面での援助を依頼しているし、訪日して乗った新幹線も褒め称えている。
イギリス映画「クィーン」のようにソックリさんは使わない。サッチャーも松下も似ても似つかない。主人公の鄧小平を演じる役者はこれまでずっと鄧小平を演じて来たと言う。雰囲気はあるが、あんなに背は低くない。鄧小平が念願の香港返還の半年前に逝去するところで映画は終わる。国威発揚映画にしては外国人が見ても嫌味は無いし、脚本もカメラも基礎が出来ている。
ここまで書いたところで、もう一本素晴らしい中国映画「幸せの絆」(原題:暖春)を見た。孤児の女の子を慈しむ貧しい村の人々の心暖まる話で、クールな筆者でも全編泣き通す映画だ。ここに登場する中国人って、日本人に石を投げ領事館を襲う中国人と同じ人種かと考え込む。本来ならこの作品をコラムで紹介すべきだが、「全貌」シリーズには関係無い公開なので稿を改めて紹介したい。