龍頭山公園(ヨンドンサンコンウォン)の展望塔の最上階から見下ろすと、釜山(プサン)港が一望である。釜山大橋の赤いアーチが対岸の影島(ヨンド)に延び、国際埠頭には、下関との間を往復する連絡船「星希(ソンヒ)号」がつながれていた。同じ船で山口先生と釜山にやってきたのだ。雑魚寝の2等船室は、9000円ながら、非常に清潔で気持ちよく眠れた。
龍頭山公園の展望塔から、眼下に釜山港を見下ろす。この町も高層ビルの建設が急なようだった
龍頭山の丘のふもとには、姜(カン)先生と山口先生の行きつけの居酒屋がある。新鮮なマッコルリ(どぶろく)とふわふわしたパジョン(お好み焼き)が絶品で、台風が釜山に上陸した夜も、猛烈な風に吹き飛ばされないよう、電信柱にすがりつきながら、この店に通ったそうだ。
旅の最終日も大いに飲み、放歌高吟する
強い風が吹いても
誰かが
渡っている橋だ
その橋は韓国の「ことば」と
日本の「ことば」で作られた橋
「ことば」で結ばれた橋は
心が支柱だから
決して 流れたり 壊れたりしない・・・
山口先生が、姜先生の日本語同人誌「みどりのかぜ」に書いた「不思議な橋」(2003年)の一節である。雨が降っても、強い風が吹いても、というくだりが、決して比喩でないとわかる。
釜山の市場には様々な種類のキムチが売られていた
この夜も、丘のふもとの居酒屋へくり出した。マダムは、ハリー・ベラフォンテのCDをかけながら、待っていた。「ク・ク・ル・ク・ク・パローマ」「マティルダ」、そして「ダニー・ボーイ」。「カーネギーホールで録音したライブ盤ですね。ぼくはね、ベラフォンテが好きなんです」と姜先生はいう。学生か、新入社員か、隣席の若いグループが、鍋でひと騒ぎして引きあげたあと、山口先生はハモニカを取りだし、アメリカ民謡「峠の我が家」を静かに吹きはじめた。
朝食:スントゥブ(豆腐煮込み)
昼食:韓国風幕の内の駅弁
夕食:ヘムルパジョン(海鮮お好み焼き)
宿泊:新羅モーテル(2人1室で1泊2万5000ウォン=1人約1,600円)
旅を終えて
「学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや。朋あり、遠方より来たる、また楽しからずや――」
孔子を持ち出すのは、この時代、さすがに古くさく見えるかも知れない。だが、代表的な現代語訳を読んでみると、まあまあいいことをいっているのである。
学んでは適当な時期におさらいする、いかにも心嬉しいことだね。そのたびに理解が深まって向上してゆくのだから。だれか友だちが遠い所からもたずねて来る、いかにも楽しいことだね。同じ道について語りあえるから。(金谷治訳)
韓国と日本のともに78歳の男が2人、心のおもむくままに韓国縦断の旅に出た。飢えれば食らい、渇いては飲み、日が暮れると泊まる。その間、お互いに語り合って飽きることがなかったのは、道を同じくしているからだった。先の文章が「論語」の巻頭に置かれた意味に、いやでも気づかされた旅行だった。山口先生はこの5月、再び釜山を訪れ、姜先生に会うという。
文・穴吹史士 撮影・白谷達也