姜先生の日本人観を変えた岡田陽一氏
ひとりの日本人との出会いが、この同人誌の骨格を強靭なものにしている。創刊直前の1993年5月11日火曜日。訪日中の姜先生は、帰国を翌日に控え、以前からほしかった日本語の辞書を買いに、東京・神田の三省堂にやってきた。が、定休日。途方に暮れる先生に声をかけたのが、たまたま居合わせた白髪の中年男性で、事情を聞いて、年中無休の小さな辞書専門店へ案内してくれた。
韓国風のり巻き弁当は3,000ウォン
2人の間で、「ソウル大学の入試科目から、日本語が除外されたのはなぜですか?」「東京大学の入試で、先年韓国語が排除されたのと全く同様なケースとみていいでしょう」といった応酬があった。姜先生はその後、同人誌に、「今までのぼくの脳裏に居残っていた日本人に対する印象が、少しずつ崩れてゆくのを感じた。……紳士、英国の本来のジェントルマンを思わしめるのだった」と、初対面の印象を記している。
姜先生は、その中年男性の名刺を何度も手に取って眺めた末、思い切って手紙を出した。返事が来て、「わたしはあなたの乗ったタクシーが遠く消え去って見えなくなるまで、立ちすくんでいたのです」とあった。この人物が、民俗・歴史学者の岡田陽一氏で、いまは「みどりのかぜ」の日本側の代表者になっている。山口先生は、その友人の友人に当たる。
ところで、アウラジの意味だが、ここは男川と女川というふたつの流れが合流する場所で、それをアウラジと呼ぶと説明された。筏(いかだ)を組んで下流に木材を運ぶ男が遭難し、その帰りを待つ女との悲恋の物語もあるようだ。しかし、アウラジという言葉を意味はついによくわからなかった。まあ、わからないほうがいいのかもしれない。アウラジを取り巻く山々が急に雲に隠れ、しぐれがやってきた。(つづく・・・第3回「江陵の海」)
朝食:ビビンパ(まぜご飯)
昼食:巻きずしの駅弁